記録
扉がノックされる。
たかが一度か二度の音響は、しかし過分に感情を滲ませる。性急、緊張、疑念、困惑、はたまた怒気か、とにかく様々に。
無論、完全にそれらを読み取れるわけもなし。だが読めた分だけでもと頭に取りまとめる。
修整の余地を残しながら、相手のパーソナリティを大雑把に推測し、自身の与えられた役割とすり合わせて、
「どうぞ」
相応しい役柄を被って答える。
「鍵は掛かっていない」
マルコム・クロウはいつも通りにそう返す。
「調査、ですか」
「うん」
ブレイン、つまりはアマリリスの長たるトト・フロム・オズからの依頼は昨日のこと。マルコムの住居たるログハウスを訪ね、紫の少女は男に淡々と事情を説明した。
「薬の横流しを働いている構成員がいるみたいなんだ」
何の薬なのか、はここで聞くまでもない。カース感染の抑制薬だろう。アマリリス内で生産されているものがほとんどだが、そこで横流しなぞという事態が起こっているなら犯人特定は容易だ。であれば、
「洗うのは外部からの流通ルートですか」
「話が早くて助かるよ」
悪く言ってしまえば、はぐれものの寄せ集めという側面の強いアマリリス内のみでは、抑制薬の質と量は十分に担保できない。幾らかは外部の伝手を辿る必要がある。そんな流通経路の中なら横流しの実行犯が付け入る隙もあるだろう。
「構成員、と断言しましたが、流通元たる組織での犯行の可能性は」
「数も少ないからボクが直接当たったよ。その可能性はないと言っていいと思う」
「……それはそれは」
魔導次元最強クラスの魔女が、突如としてやって来た組織の方は肝が冷えただろう。そこで嘘を吐く豪胆さがあるなら、薬の横流しなどという狡っからい手口を選ぶはずもなし、であれば確かにアマリリス内部を疑うべきか。
「そのときのようにトト様、そうでなくてもそれに比肩する人物であれば取り調べも容易では」
「そういったやり方が何を引き起こすか、君も分かっていて聞いているだろう?」
「……」
何を引き起こすか、と問われれば。
単純だろう。組織への不信が生まれ、積もり積もっては離反者や、最悪反乱へと繋がる。些細なことであろうが、避けられるリスクを避けない集団は長続きしない。
「──つまりは、メンバーが『私は組織内で疑われている』と感じないようなやり方で調査しろ、と。事態を理解した上での依頼でしょうか?」
「諸々を考慮した上で君が最適だと判断したんだ」
皮肉っぽい言い方にさえそんなことを返されれば、もはやマルコムから言えることはない。「やれるだけはやりますが」など、不承不承に返す。
「ありがとう。これは犯行日と思われる日の薬の移送スケジュール、こちらは疑いのある構成員の一覧だ」
幾らかの紙切れを置き土産に、最低限の伝達事項だけ告げて紫の少女は去ってしまう。残された男は、そんな置き土産をじっと見て、やや考えた後、
「……ああ、北里君。済まないが、連絡を頼めないだろうか」
リストを見ながら、電話を始めた。
マルコムのやった調査は至極単純だ。
リストにあるメンバーを全て呼び出し、犯行日と思しき日の行動をつぶさに尋ねた。それはもう、分単位に達しようかという細かさだ。
「カース抑制薬の生産元から薬の横流しを疑われていてね。我々の生命線の一つたる品でそんなことをする輩がいるはずもなし、だが体面を整えるためにも調査だけはしておこうというわけだ」
最初に告げる形だけの言い訳は粗雑そのもの。だがその程度で十分だろうとマルコムは判断していた。
これに納得する者であれば負の感情はアマリリス外に向く。納得がいっていないようであれば、
「……だがこうしたことは徹底的に行わないと意味はないと私は判断してね。こうした形を取ったんだ。やましいことがないなら答えられるだろう?」
この言葉を付け加えるだけでターゲットはマルコムに向く。
昨日はそこまで追求しなかったが、今回の調査に必要なのは組織内への不和を生まないことであり、『疑われている』と感じさせないのはそのための方法の一つでしかない。
そうしておよそ十人前後の『容疑者』全てから話を聞き終え、最後の一人がログハウスを後にしてから。
さほど思考の時間を要することなく、マルコムは昨日と同じ番号にかけ始める。
「何度も済まないね、もう一度呼んでほしい人物が一人いてね……」
心臓が早鐘を打っているのを、その男は感じていた。
調査という名の見え透いたアリバイ確認があったのは今日の昼のこと。薬の横流しの件はバレていると見て間違いない。お題目として立てられていた前提がその件だったのだから。だからこそ、こうした事態に備えた偽の行動表をそのまま伝えたのだ。横流しの利益を幾らか握らせた協力者もいる。薬の運び屋とも面識はないことになっている。疑いを確信に変えるには、決定的な証拠がないはずだ。
だが、男は再び呼び出しを受ける事態に陥っている。
穴はなかったはずだ。あの一日において、自分は常に誰かと一緒にいたことになっている。協力者のおかげでその裏付けを取らせることもできる。
何かミスを犯しただろうかという焦燥が、血流をじわじわと早めている。
二度目の来訪となったログハウスの扉を、生唾を飲み込みながら叩く。
「どうぞ、鍵は掛かってない」
やはり二度目となる応答を聞きながら、「……失礼する」と入室。
夕日を背景に、逆光となっている部屋の主は、シルエットになってはっきりとは姿が見えない。眼光が妖しく煌めいたのは、怯えの見せた幻想だろうか。昼に見たときには、薄ぼんやりとした、地に足を着けていない感さえある男だったのに、あれは擬態だったのだろうか。
いよいよもって混乱極まった脳に無数の思想が駆け巡る中、対する男は、マルコム・クロウは、ほうと息を吐いて、困ったように笑った。
「来てくれてありがとう。頼み事があってね」
「頼み事、ですか」
「ああ」
一つ頷き、ぱらぱらと、気のなさそうに、マルコムは手にした資料を捲る。
「今日の調査の内容だった薬の横流しなんだが、今回の一件を受けて抑制薬の流通体制を見直そうという話があってね。単純な話、信用の置ける人間のみに任せようというだけのことなんだが」
「……?」
予想と違う話が転がり始め、混乱は加速する。呆けた顔をしていただろう男のそれをどう見たか、マルコムは慌てたように続ける。
「いや、恥ずかしい話ではあるんだが、今回の調査では横流しの実行犯と思われる人間を特定できなくてね。だが、逆に潔白であろう人間は洗い出せた」
「……ああ、つまり」
光明が広がる。これは、危地ではなくむしろ好機なのか。
「それが俺だったと」
「ああ。調査──この言い方も回りくどいな、直截に言うならアリバイ確認においてどう足掻いても犯行が不可能だったろうという者は君だけだった。故に、この体制見直しにおいて候補として挙げておこうと思ってね」
表情に出ないよう必死に抑え込みながら、心の中で舌なめずりする。こうしてみれば、やはりあの偽アリバイはプラスに働いている。疑われるどころか完全なシロを証明できるとは。
「候補、というと何をすれば」
「問題ないと判断されれば、いずれは外部からの仕入れを全て担う形になるだろうが……ひとまずは経路を一つ任せることになるかな」
いきなり全てを任せられるのは流石に強欲が過ぎたか。だが、流通経路の一つを丸々任せられるだけでも大進歩だ。これまでの男はあくまで流通に携わる一員に過ぎず、そこまで派手に動くことはできなかった。単独責任者になれば、そこからどれだけ『事業』を拡大できるか。
元より男はアマリリスの思想に共感して加入したわけではない。魔導次元の犯罪組織においても最大のものであるからして、こういった形での甘い汁を吸えると考えたから。啜り続けた蜜が、蕾として実ろうとしているのを実感した男は、正しく天にも昇る心地だった。
「──引き受けましょう。それが俺にできる組織への貢献ならば」
口角が上がるのも、肺から零れ出る哄笑も押さえつける。
にこにことこちらを見る眼前のナーブに、思い切り笑ってやりたかった。お前の無能のおかげで俺はさらに儲けられそうだ、と。
だから、
「それならリールッド氏への連絡もお願いしていいかな」
「ええ、それくらいは……」
発言して、それが失言であると理解するのに時間を要し。
天から地へ、そして獄へ落ちるまでの落下を、浮遊感を存分に味わうこととなった。血流が、下方へ、一気に落ちる。
マルコム・クロウは、変わらぬ笑顔だった。
空恐ろしく感じた。
「おや、リールッド氏は知っていたかな」
「い、いいえ」
「そうかい。今回の一件で被害を受けた経路を担当している運び屋なんだが──ああ、確かに。今日の私からの質問にも知らないと答えていたね。とはいえ先程の反応は……」
「お、俺は──その、勘違い、聞き違いの類ではないでしょうか」
どんな言い訳も苦しく感じた。であれば、流すくらいしか手段はない。それに、これもまた疑い止まりだ。確証には至らない。
冷や汗が背を伝う。笑ったままの男から目を逸らせない。呼吸さえ止めたくなる。
永遠とも思える沈黙があって、
「──そうだね。私が聞き間違えただけかもしれない。そうでなかったとしても、『知らない』と答えた事件関係者を実は知っていたというだけだ。君が犯人であるという証拠にはならないだろう」
「──ええ」
ふっと視線を外される。
知らず、本当に止めていた呼吸が再開する。やっと視線を逸らせた、そのときだった。
「疑ったのは君だけが完全なシロだったからだ」
「……え」
「私は一日の行動を細かく──本当に細かく聞いていった。その質問に全て回答できたのは君だけだった──普通なら覚えていないような些細な事であってもだ」
淡々と述べて、思わず顔を上げた男に目線を合わせる。
「私は調査を頼まれたんだ。犯人特定は仕事じゃない。今回の君の言動を、私は『疑いが強い』と報告する。後は私ではない、別な誰かの仕事だ」
「……」
この場を逃れた後を思う。
この男より、実働に──暴力的手段に長けているであろう誰かによる尋問を。
ゆら、と手が動いた。
「……そうだな」
動いて、握りこまれた。
「次から気を付けることにしよう」
発動体が鈍く輝く。魔法発動、炎の弾丸が形成され、
「が、っ」
くらん、と男の頭が揺れた。
部屋の片隅から、炎雷が二条の黄の直線として走り、発動体を撃ち落とし、次いで男のこめかみを撃ち抜く。貫通、には至らず、ただ直撃の衝撃のみを存分に脳に伝え、表皮を軽く焦がしながら意識を奪う。
たった二発のフレイムボルトで以て男を無力化した人物──本郷大和は隠蔽の魔法を即座に解除し、倒れた男へと駆け寄る。完全に意識を失っているのを確認して一息吐くと、
「──主犯はこいつで間違いなさそうだな。特定、感謝する」
マルコムは無言で肩をすくめて返す。
連行すべく、男を担ぎ上げてログハウスを出る寸前だった。
マルコムの方を見ることはなく、だが明らかに彼へ向けて、
「──この組織に属す以上、俺達はアマリリスの指であり、神経であり、臓器だ。忠義故というならともかく、勝手な感傷で、益にもならない死を選ぶのは慎め。それは遠回しにアマリリスという主の身体を殺す」
本郷大和は冷たくそう告げて、夕日も沈み始めた暗闇へと姿を消す。
マルコム・クロウは──自分に向けられた殺意に、魔法に、一切の抵抗を見せなかった彼は、黙ったままでその背中を見送った。
「やあ。どうだった、彼は?」
「トト様──そうですね、能力面での問題は一切ないでしょう。不安に陥らせ、後に安堵させた油断を突いて本命の情報を抜き取る。簡単にやってのけていましたが、決して容易くはない。利益をちらつかせて功利心をくすぐり、先の不安を強めて、最後には実力行使という短絡的手段を選択させる……よくもまあ、あそこまで人を手玉にとれるものです。洗脳班の指導役には確かにもってこいでしょう」
「……言葉の割には懸念がありそうだね」
「……あれは自分自身を低く見積もり過ぎです。死を厭わないと言えば聞こえはいいが、指揮官に位置することもあり得るナーブが、命を勘定に含める際に、真っ先に自分を入れるようでは本末転倒です。部下を持たせるには不安が残る」
「あれは自己評価よりも自罰の側面が大きいとボクは感じたけど……でも、そうだね。君の言う通り、部下を持たせるには不安定な人材だ」
「……」
「だからこその今回の差配だ。持たせるのは部下じゃない……生徒なんだから。これが、いい方向に働いてくれればいいんだけど──教師と生徒、両方にね」
扉がノックされる。
たかが一度か二度の音響に、しかしどう応えるか迷った。
数週間前のような調査ではない。気を張り詰める必要はない。だが、今から纏うべき役割がどうも自分を落ち着かせない。
本当に久しぶりに開いた教本を閉じ、深く深く息を吐いた。
「どうぞ」
迷った末に、マルコム・クロウはそれだけ返す。
扉が開き、生徒が姿を覗かせた。
「ああ、トト様から通達があった新人は君か」
軽い笑顔を作って、
「聞いているとは思うが、マルコム・クロウという。君の指導を担当することになったナーブだ。よろしく頼むよ」
ゆっくりと、握手の手を差し出した。

