X年前、魔導次元のとある家庭にて。
ぱたぱたと、誰かが廊下を駆けている。軽やかな足音は留まることを知らず、時刻が夜だというのに元気な声と共に響いていた。
「ねぇねぇ、おかあさん!えほん……このえほん、よんで!」
寝室の扉を開けたのは、まだ幼い少女。栗色の髪は短く、夕陽色の瞳はキラキラと輝いている。
「あらあら、あやねったらいつも通りお転婆さんね……いいわよ。でも、眠くなったらすぐに終わらせるからね?」
眠る支度を済ませていた女性は、ベッドの上で少女を出迎える。少女が大人になれば、きっと彼女のような外見になるだろうと思うくらい、彼女たちは瓜二つだった。
「む……きょうこそ、ぜったいさいごまできいてみせるもん!!とちゅうでねないもん!!」
あやねと呼ばれた少女は頬を膨らませ、母親の待つベッドにもぐりこみ「はい!」と手に持っていた絵本を渡した。
「最後までその調子だといいけれど……それじゃぁ、読むよ」
母親はからかうような笑みを浮かべて、絵本のページをめくり始める。
「ゆめみるさくら」 あさつげ しえる
むかしむかし あるところに いっぽんの さくらのきが ありました。
さくらのきは ほかの さくらのきと ちがい いちども はなを さかせたことが ありません。
さくらのきは いつもわらわれて ひとりぼっちでした。
「いつかわたしにも きれいなはなが さくのかな?」
さくらのきは まいにち まいにち かんがえました。
「わたしにさくのは どんなはな? みんなとおなじ さくらかな?」
だけど さくらのきは さくらのはなが どんなはなか わかりません。
なぜなら ほかのきは しゃべりもしないし、うごきません。
はなしあいては そらをとべる とりさんや、いっしょにすむ むしさん くらいです。
かれらはみんな 「さくらのき なのに さくらもわからないの?」というばかりで、さくらのはなが どんなものか おしえてくれません。
「さくらのきが さくらのはなを さかせられない なんて きっと わらわれちゃうな」
なんて、さくらのきが ためいきをつくと。
「そんなことないよ」
と、えだのうえから だれかのこえが しました。きいたことのない ふしぎなこえです。
「あなたは だあれ?」
「ぼくは すずめ。きみのことを ずっとみていた」
すずめをなのる そのとりは、ひどくまっくろで おおきいです。とても すずめには みえません。
「すずめさん なの? でも、あなたは とってもまっくろよ」
「しってるよ。ほんとうのぼくは からす。
だけど すずめって なのってるんだ。みんなは ぼくのことを 「うそつきからす」と よんでいる」
「からすさん?」
さくらのきは ふしぎにおもいます。
「そう。でも、からすが すずめをなのるのは おかしいこと かな?」
「おかしいわ。だって ほかのからすさんは じぶんのことを すずめだとは いわないもの」
「じゃあ、きみは?」
きっぱりといった さくらのきに すずめはといかけます。
「きみだって さくらのはなが わからないのに、さくらのきだって いっているだろう?」
「あ……」
さくらのきは おどろいて だまってしまいました。それをみたすずめは、くすくすとわらいます。
「ごめんね。こまらせるつもりじゃ なかったんだ。ぼくがいいたいのは、ぼくときみが にているってこと。
すずめをなのる からすと さくらのはなが わからない、さくらのき。
せかいから おかしいって いわれていても、ぼくも きみも かわらないでしょ?」
たくさんしゃべったな、といって すずめは ためいきをつきました。
「……わたし」
さくらのきは あおぞらをみながら いいました。
「?」
すずめは くびを かしげます。
「わたしね、いつか なつのおそらみたいな おはなをさかせたいなって おもっているの」
「なつのそら…… あの、きらきらした たいよう みたいな?」
「ううん、ちがうの。おひさまよりも もーっとおおきいおはな!」
「もっとおおきい……それって はなびのこと?」
「そう! はなび!」
さくらのきは うれしそうにわらいます。でも、それをみたすずめは どこかかなしそうです。
「きみたち きは、ひにさわると あちちって なるんだよ? もしかしたら あちちのあとに、はなせなくなる かも……」
「それでも いいの。わたしはいつか はなびをさかせたい。 なにもさかせないで かれるよりも、きれいなはなをさかせて かれたほうが いいとおもうから」
「…………」
さくらのきは はなびをさかせたい といって、すずめのはなしを ききそうに ありません。
さてさて、すずめはいったい どうするのでしょうか……?
再び、とある家庭
(いつもここで寝ちゃっているけれど……今日はどうかな……?)
何度も読んだ絵本の、一区切りつく場面で母親は息をつく。そして、傍らに視線を向ければ。
「んゅ……すぴ…………」
案の定、可愛らしい寝息を立てて眠る娘がいた。
「……ふふ、やっぱりかわいいなぁ」
母親は娘の頭をそっと撫で、少しだけ悲しそうな顔をした。
「親の作品を気に入ってくれるのは嬉しいけども……いつかきっと、最後まで聞いた感想を、聞かせてほしいな」
そう言って、母親は……絵本の作者である朝告シエルは、枕元の照明を消して、自身も眠りへと落ちた。

