「機械仕掛けの北極星 ~Life Is Beautiful~」 リプレイノベル

目次

注意点

GM:かめ 様

PC1:速水 都 PL:クルイ

PC2:水島 光 PL:瀬名まさる 様

PC3:芥屋 蛍  PL:山田エクストリーム 様

以上のメンバーで行ったセッションをノベル風味で書いたものです。

注意点としまして、

・捏造込みで盛りに盛った描写

・結果的に五万字にまで膨れた長さ

・自キャラから迸る厨二

・地の文から迸る厨二

以上が挙げられます。改ページとかできたかもだけど分からなかった。

これらの注意点が平気という方は下からお付き合いいただければ幸いです。

本編

0.

満月が黒い空と白い海のコントラストに浮かび、辺りを照らしている。

波の音だけが響く静寂の夜に、波間に揺られて浮き沈みする一つの小さな船があった。

船は大量の歯車と、傷だらけでボロボロの服を着た金髪の少年を乗せていた。

目を瞑り横たわる少年は、棺桶に横たわる死者のようであった。

少年は、何かを呟いた。すぐに、その声は波にかき消される。

少年が目を開けると、上空に広がる星々が瞳に映る。

その中で、とびきり輝く星を見つけ、彼はそれを掴むようにそっと手を伸ばす。

「僕は……一人だ……」

そう言うと、彼は、目を閉じた。

誰が聞き届けるでもない、独りぼっちの星の呟きだ。

1.二年前

 

「ねえ、ホタルさん。隣いい?」

「ええ、大丈夫だけど」

 学食での、なんてことない会話だった。

 ホタルと呼ばれた大人びた少女は呼びかけに顔を上げ、頼みに応じて少し横にずれる。

 ホタルの友人たる少女──再現坂奏音は、ありがとう、と告げて隣に腰掛ける。

 トレーに乗ったサンドイッチの包装を剥がし、頬張って、そしてその視線がホタルのトレーへと固定される奏音。視線の先は奏音のものとは別の具のサンドイッチだ。

「……何? どうしたの?」

「あ、い、いや、ホタルさんが食べてるそれ、すっごいおいしそうだなぁって。私もそれにすればよかったかな」

 気付かれるとは思っていなかったという様子で慌てる奏音に、ホタルはおかしそうに、ふふ、と笑う。

「なら、せっかくだから一つずつ交換でもする?」

「……いいの?」

「もちろん。ダメだなんて言う理由がないもの」

 恐る恐るといった調子で、奏音は自らのキュウリとチーズのサンドイッチを差し出す。受け取ったホタルは、自らのタマゴサンドを代わりに差し出した。

 もらったそれを嬉しそうに頬張りつつ、奏音は思い出したように、

「ああ、そうだ。ねえ、今度、私のいる吹奏楽部の定期演奏会があるんだけど、もしよかったら来てくれない?」

「演奏会……そういえば、もうそんな時期だったかしら。教えてくれないから今回はないものかとばかり」

「……実はつい最近、その、吹奏楽部でいざこざがあって。ほら、よくあるじゃん。先輩後輩関係の不和っていうの?」

「ああ……確かに、そんな事があった後だと不安にもなるわよね……」

 僅かな憂いの滲む奏音の笑いは、しかし次の瞬間には人好きのする彼女本来の笑みに戻る。

「もう、色々と溜まってるんだけど、定期演奏会は大切な行事だし、ちゃんとやりたいなって。指揮する前に、ホタルさんの顔見れれば、きっと頑張れるから。だから、もしも、ダメじゃなかったら……見にきて欲しいの」

「ダメじゃなかったら……だなんて。私がそんなこと言うわけないじゃない。カノンからのお誘い以上に大事な用事なんて、この世にあるはずがないわ」

「……ありがとう。ホタルさん」

「それじゃあ、日程を教えてもらえるかしら? 私も色々準備をしておきたいもの」

「ええ」

 なんてことない会話だった。なんてことない約束だった。

 全部終わったあとに、よかったと笑い合えるような、そんな他愛無い未来の約束で──

 

 

 ──たった今、芥屋蛍はそれを根底から否むような光景を見ている。

 

 素晴らしい演奏だった。

開演後、奏音が指揮台に昇ってからの最初の一曲。

客席に向かってお辞儀した彼女が、顔を上げるときにホタルへと小さく笑いかけたのも、魔法のかかった指揮棒が編み上げる残像の芸術も、演奏に合わせて踊るユニコーンと乙女の幻影も、全てはついさっきという過去。

その場にいた全ての人を魅了した演奏は終わり、今ある現実は、ホタルが目にしているのは、次の曲が始まろうとしたときに天井を突き破ってきたクリーチャーと、そのすぐ目の前に立っていた奏音だ。

演奏を掻き消すような轟音と共に襲来した厄災は、天使の体に黒い鳥の頭を持った異形だった。携える剣も、跨る狼も、おぞましいほどの敵意の塊だ。

 

静寂は、刹那の間だった。

 

 怪物が、片手を上げる。奏音へと、向ける。

 直後、黒い霧と見紛う大量のカースが奏音の身体を包んだ。

 

 悲鳴がある。

 奏音のそれから伝播して、会場中に、こだましている。

 駆け付けた警備員が、教員が、戦う力と意思を持った学生が、クリーチャーと交戦を始め、さらに阿鼻叫喚は拡がる。

 同時、奏音を包んでいた霧が晴れた。

 中から現れた彼女の瞳に光はなく、何より、ホタル──カース特対たる彼女がすぐに不味いと判断できる程度には、禍々しいマナを纏っていた。

 先程までいくつもの音を束ね、観客を楽しませるためにあったタクトが、そんなマナを撒き散らしながら振るわれる。

 

 炎が上がった。

 ステージが、客席が、燃える。壊されていく。

「……っ! カノン!」

 自らの発動体でもある眼を見開き、友人の元へ駆け寄ったホタルへと、とうの友人はなおも破壊を撒き散らしながら向き直る。

 再現坂奏音の目には、涙があった。

「どうしよう……ホタルさん……こんなこと……本当はしたくないのに…………したくないって思ってたはずなのに」

 涙と一緒に、悲痛があった。

 あったはずだった。

「壊すのが……気持ちよくて仕方ないの……!」

 狂気的な笑いがある。普段の再現坂奏音が絶対にしないであろう、破滅しか予感させない哄笑が。

「あははは……! ねえ……ホタルさんも……私が壊していい……?」

 今や凶器と化したタクトが、ホタルを標的と指す。

 向けられた少女はといえば、薄い笑みを浮かべている。

 芥屋蛍は、楽しそうに、それでいて悲しそうに笑っている。

「ふふ……うふふふふ。ええ、そういうのも悪くないわね。他でもないカノンになら、それもいいと思えてしまうわ。だけど──」

 ふっ──、と。

 その笑みが消えた。

「──今は、ダメ。カースに囚われた貴女にされるのじゃあ、合意の上とは言えないもの」

 奏音とはまた別種の狂気を僅かに含ませ、ホタルの邪眼が輝きを増す。

 そして、

「──インフェルノドライブ」

 また、炎が上がる。

 

 

『──この一件におけるカースは再現坂奏音を中心として、他何人かの吹奏楽部員や観客に感染していたことが発覚。対策本部が置かれた上で感染源であるクリーチャー、アンドラスの討伐隊が芥屋蛍を隊長として組まれる。しかし、翌日にアンドラスの死体が心臓を失った状態で発見される。クリーチャーの心臓の破壊に失敗したため、事件は今を以て未解決であり──』(ある報告書より抜粋)

 

 

2.一年前

 

 どこにでもあるような、安普請のアパートの一室だった。現在日本であった。

 青年が一人、スマートフォン片手にゴロゴロしている。絵に描いたような自堕落だった。

「ほーん、新しいデッキのボックスが出たみたいやのぉ~」

 遊んでいるのは世界的有名カードゲームのソシャゲ版。追加されたカードの一覧をスクロールさせながら、目を輝かせたのは欲しいカードがあったからか。

 即座にガチャ画面に移行した青年は、しかし時間を追うごとに表情を曇らせていく。

 ぶつかるは確率の壁、終わることのない物欲とそれの衝突。軍資金をつぎ込み、正確に述べるなら課金し、挑戦回数を増やしたところでトンネル効果なぞ期待できるはずもなく。

 見る間に積み上がっていく外れ(コモン)の山を尻目に、これ以上いくと生活が怪しいという意味での最後の一枚を引いたときだった。

「お?」

 最高レアリティの演出に喜色に彩られたのも束の間、それは怪訝へと取って代わられる。

 表示されたカード名はドロシー・フロム・オズ。桃色の髪、とんがり帽子に黒いローブと大きな箒を持った中学生ぐらいの少女が描かれたものだ。絵に描いた、というか描かれた魔女っ娘カードである。

 首を傾げたのは引いたボックスの排出カードの中にそんなカードはなかったからである。

「…………なんじゃこのカード」

 大量のクエスチョンマークが浮かぶのもむべなるかな。

 とりあえずは効果も含めた詳細を見るべきか、とカードをタップする。画面いっぱいにその少女が映し出され、そして、

「こんにちはー‼ あなたのヒロイン、ドロシーだよ♪ ねぇねぇ、キミ、魔法使いに興味ないかな? かな?」

「は? 決闘者になに言うとるんや⁇」

 喋った。

反射的に応えてしまったために驚きが訪れたのはその後で。何しろこのゲームにカードに描かれたキャラクターが動いたり喋ったり、果ては宗教紛いの勧誘をしてくるような機能はない。

「この私を引けちゃうくらいだから、君にはきっと魔法使いになる素質があるんだよ! というわけで、魔法を学ぶ学園、ハーベストに来てみませんか? 楽しいよー! きっと、そこにいるだけじゃできないような体験ができて、キミを刺激でいっぱいの毎日に連れていってあげるよ」

 そして画面の少女にそんな疑念にいちいち答えてくれるような様子はない。

「えーーーっと……⁇ 話聞いてる⁇」

「もし、君が興味を持って、ハーベストに来たいって思ってくれるなら。瞳を閉じて」

 聞いてない。

 それどころかそこで画面がフリーズした。

「は⁇ おい、ちょっ⁉⁉」

 流石に跳ね起きるも、スマホが再度動く様子はない。画面は凍ったままだ。

「…………え? バグ? え、何⁇ は⁇ とりあえず閉じたらええんか……?」

 少女の言う通りに目を閉じてしまったのは、もう混乱極まってという他ない。

 一瞬だけ身体に感じた浮遊感についても上の空だった。

「……スマホ壊れたんかなぁ。修理代いくらかかるんやろ」

 素直に目を閉じる必要などないのでは。

 そう気付いたからかは分からないが、青年がゆっくりと目を開ける。

 視界に広がるのは当然いつもの自室──ではなかった。

 

 明らかに外。背後に日本では見たこともないような鬱蒼とした森、正面に洋風の学園の正門のような場所。

 そして隣に桃色の髪ととんがり帽子の中学生くらいの──さっきカードで見た気がする少女。

 人懐こい笑みを浮かべ、元気いっぱいに彼女は、

「ようこそ、魔法学園ハーベストへ‼」

「………………は⁇⁇⁇」

 ともすれば人生最大かもしれない疑問符の嵐。

 だがそれに答える少女ではなく。

 

 青年──水島光の魔法学園ハーベストへの入学はそんな被害者そのものの経緯だった。

 

 

3.始点

 

「お疲れ様です、速水君。申し訳ないのですが、一つお願い事を聞いていただけませんか」

「……内容によりますかね」

 時刻、夕方。

 空の夕焼けに赤く照らされる部屋の中にそんな会話があった。

 そこはハーベストの研究室の一室、管理者は機械魔導学科主任のチョウ講師。

 工業用のロボットアームを操作しながらチョウの声に顔を上げたのは、その顔を黒いヘッドギアに覆わせた男子生徒だった。異形の被り物は各所の電子的な光の点滅が、何がしかの機能を担う装備であるのも伺わせる。

「『白き海』の灯台の調子が悪いらしく、メンテナンスの依頼がウチの研究室に来たんです。ですが、私は本日急な出張が入ってしまい、行けなくなってしまいました」

「まさか代理をしろと?」

「ええ、申し訳ないですが。キミにならこの仕事を任せられるし、研究の一環として良い学びを得られると思います。引き受けていただけませんか?」

「学び、ねえ……まあ暇してるしそれくらいならいいか」

 速水と呼ばれた学生の声は不承不承という調子ではあったが、強い拒絶もなかった。

 チョウは助かったといった声音で、

「本当ですか? ありがとうございます。では、これが灯台の魔導機械の仕様書です」

 そう言って速水にファイルに包まれた書類を渡す。

 受け取りながら速水は、

「どうも。ま、手短に済ませますよ」

「ええ、頼みました」

 立ち上がった速水は必要な工具だけを手に、軽い目礼だけをチョウに残して部屋を出る。

 

 

「……予想外に大仕事だなこれは」

 若干の後悔が滲む声だった。

『白き海』、その浜辺の灯台を昇り、光源である巨大な魔導機械を見ての一言だ。

 主任講師からの頼み、かつこの灯台はクリーチャー除けとそれらへの警報の役を兼ねている。手を抜いて楽をするわけにもいかない。

 ファイルから仕様書を取り出し、ため息と共に速水はメンテナンスに取り掛かる。

 機械を一度分解し、部品ごとに清掃し、問題のある箇所があれば補修し、あるいは交換し。

 マニュアルに沿って行うだけ、と言葉にすれば簡単に聞こえても、実態はマニュアルがないとやってられないような作業の積み重ねだ。全行程が完了した頃にはもう辺りは夜の帳が下りていて、光源は月明かりばかり。

(手短とは何だったのか──せめて早く帰りたい)

 とんだ貧乏くじだ、とマナ供給のスイッチを入れる。ぼう、と灯りが灯った。

 灯台が凪いだ海を照らし、上空に浮かぶ満月を覗かせる。

 仕事はこれで終わった。帰るか、と速水が腰を浮かしたときだった。

 灯台の光が海の一点に集中し、何かを導くスポットライトかのようにそこを照らす。光の焦点は徐々にこちらに近づいてきており、やがて海上の小舟の姿が捉えられる。

 クリーチャーの巣窟であるはずの『白き海』を無防備に漂う小舟の上には、さらに信じ難いことに金髪の少年が大量の歯車と一緒に横たわっていた。

 呆気にとられて見下ろす速水の耳に、ふと波の音を縫って声が聴こえた気がした。

 

「──助けて」

 

 透き通るような、今にも砕けそうなか細いSOS。

「──放っておく、わけにもいかないよなあこれ。寝覚めが悪い」

 またため息。今日で何度目なのかを数えるのも馬鹿らしい。それでも少年の乗る小舟の元へ向かうべく、灯台を降りていく。

 浜辺に降り立てば、小舟は岩場に座礁していた。変わらずスポットライトのように照らされたその舟の上では、綺麗な顔をした金髪の少年が目を閉じている。人間と寸分違わぬ外見の彼は、しかし右腕を欠いていた。それだけでなく、肩の破断面からは複数に組み合わさったモーターが見える。千切れたと思しき右腕は左腕に握られていた。

「ロボット──いや、原義としてのアンドロイドか? 模造にしちゃあ趣味が悪い」

 ──手元に工具があるエンジニアに、この状況でやれることは一つだけだった。

 転がった歯車を検分し、各種パーツと当てはめ、丁寧に組み合わせていく。欠けた右腕を治すべく、ときに魔法も使いながら、作業を続け、黙々と時は過ぎていく。

 気付けば、水平線に曙光が立ち昇っていた。

「早く帰る、すら守れてないなあこれ。どうしたものか」

 くるりと指先で回されたドライバーが工程完了の知らせだった。

 速水の目の前には、中身が機械だとは思えないほどに精巧で、美しい人間の姿がある。

 修理は完璧のはず、だった。何故か余った大きな星型の歯車だけが瑕疵。明らかに不必要なパーツであるにも関わらず他の歯車にそれが紛れていたのに首を傾げ、とりあえず速水は工具箱にそれを仕舞う。

 と、少年が薄っすらと目を開けたのはそのタイミングだった。

「──ここは……? あなたは……?」

 ついさっき、というにはあまりに遠い時間。波の狭間に聴いた気のする、透き通った少年の声。

「……喋れるのがそもそも驚きだが。まずそちらから名乗れるか?」

「ボク……ボクの名前は……ポラリス…………」

 速水の問いかけに少年──ポラリスは不安そうに瞳を揺らして答える。

「洒落た名前だな。こっちは速水でいいよ。で、どこから来たとか分かるか?」

「えっと……ボクは……ああっ、うっ、ぐぅっ……!」

「ああ、きついなら無理しなくていい。どの道、オレが知ってもどうしようもない」

 しかし続く速水の問いかけには頭を抑えて苦しみ始める。それでも、一言一言振り絞るように、

「な、何か怖い想いをしてきたことは覚えてて……だから、逃げなきゃ……逃げなきゃって……だから…………助けて……」

 怯えるように、震え、縮こまりながらそんなことを言う。

 返答は、

「柄じゃないっつーの。助けは別の誰かに頼め。とりあえずそんな誰かのところまでは行かないといけないわけだが──立てるか?」

 面倒ごとと判断した上で他人に押し付ける気満々のそれだった。薄情の極みのような言葉についでのごとく付け加えられた問いに、しかしポラリスはこくんと頷き、生まれたての小鹿のように足を震わせながら立ち上がる。

「あー……おぶった方がいいか?」

 流石に良心の咎めた速水が、それでも嫌々ながらに尋ねれば、ポラリスは少し恥ずかしそうに顔を赤らめて頷いた。

「本当に……柄じゃないな……」

 ぼやきつつ背をポラリスへと向けてしゃがめば、彼はその背中によじ登るように乗る。歯車で構築されているその身体は、体躯に反して不自然に軽く感じられた。

「──少年、ちゃんと食べてるかねキミ」

 ポラリスを背負って立ち上がった速水が茶化せば、

「……分かりません」

 返答は至極真面目なもの。

冗談にそう返されるのは調子が狂う、と速水が独りごちる。

「──そういやこの顔見て初対面で驚かないのは珍しいな」

「……何か、被り物をしているんだよね?」

 続いて呟かれた言葉にはポラリスも反応を示した。速水からすれば無論ヘッドギアを指しての呟き。ポラリスは元からそういう頭ならびっくりだ、という風だった。

「視力補助と色々隠すため、な。外しても楽しいモンは見れないぞ」

「そっか……」

 明らかに話題を逸らそうという意が見える言い方にはポラリスも何か言いたげだったが、歩く速水の背に揺られる彼の瞼はゆっくりと落ちていき、いつしか口からは安らかな寝息が零れ出す。

「……これ、他の生徒に見られて要らん誤解を生まないよな?」

 それこそ要らない心配をする速水の前には、朝日に照らされた学園の偉容がそびえていた。

 助けを請うた少年を連れ、魔法使いは学び舎へと戻っていく。

 

 

4.彼女の契約

 

「はい、今日は面会可能です──いつもありがとうございます、芥屋さん」

「どうも。……友達に対してなんだから当たり前のことよ、これくらい」

 清廉な場所、ではあった。それでもどうしようもなく暗鬱としてもいた。

 ホタルが日課のように訪れている、精神科病院はそうした場所だった。ただの病院でもなく、そこはハーベスト管轄のカース治療専門の機関だ。受付の女性と顔馴染みになるくらいには、ホタルはここに通い詰めている。

 何のために、と問われるなら、それはもちろんただ一人のため。

目指す場所は階段を昇った先、特別病棟。

「……あ……ホタルさん」

 ベットから上体だけ起こし、憂いの眼差しでホタルを見てくる再現坂奏音がそこにいる。

 周囲も、そして自分も傷付けてしまう彼女は個室に隔離されている。拘束まではされていないものの、それも人倫にもとるという名分があってのものに過ぎない。

 症状を抑える薬こそあるものの、効果は芳しくない。日常生活を送れるような精神ではなく、退院の目途は事件から二年が経った今でも立っていない。

「あらカノン、起きていたのね。今日の体調はどうかしら?」

「……調子は……まあ、いつも通りだよ。比較的、大丈夫な日かも」

「そう。なら今日は、少しくらい話をしていってもよさそうね」

 奏音の寝かされているベッドの脇、そこにある椅子にホタルは腰掛けた。いつもならそこからなんてことない話を──暗い今を誤魔化すような世間話を始めるのが常だったのだが。

「……ホタルさん、あのね」

「……何かしら」

 絞り出すような奏音の声は、これから世間話をするような軽い調子ではない。泣き出しそうで、どこまでも沈んでいきそうで、これ以上ない絶望に彩られたそれだ。

「今日お医者さんに言われたの。普通、カースに侵されちゃったら、自殺衝動がだんだん高まってきて、2年か3年で死に至るんだって。だから、このまま治らなかったら……私も……死んじゃうかも」

 浮かべた泣き笑いはあらゆる感情が煮詰められた結果か。負の感情も集積すれば笑いに転化するらしい。

「……そう、ね。カース感染はそういった症状が多いものね……でも、貴女を死なせはしないわ。これでも私、カース特別対策委員会だもの。どうにか解決する方法がないか、調べてるところ」

 一厘とて嘘や慰めはない。過ぎた二年の歳月を、ホタルは奏音を救う手立てを探すためにずっと費やしている。手段が見つかるまでは、きっとこのままずっと。

 それでも、奏音の顔に浮かぶのは力ない笑みだ。

「……あはは。私、どうしたらいいんだろう。もうすぐ死ぬって言われて、急にやりたいこといっぱい出てきちゃって──普通に授業受けて、普通に部活して、普通に卒業したかった。ホタルさんともっと一緒にお話ししたかった。もっと一緒にご飯食べたりしたかった。もっと一緒に居たかった。もっと。もっともっともっと」

「大丈夫、大丈夫よ。私はいつもここに来ているでしょう? 貴女が望むなら、私はいつだってここに来るし、いつまでも居てあげるわ」

 ホタルが奏音の手を握りしめ、強く強く言う。

 奏音もその手を握り返してぼろぼろと涙を零す。どうしようもない激情を無理に押さえ込むような自虐に笑みが転じていく。

「ごめんね……ホタルさん……そう言ってくれてすごく嬉しくて……嬉しいからあなたを壊したくて……ごめん、ごめんね……私…………死にたくないよ…………」

「……何も謝る事はないわ。それにね、私は簡単に壊せるほど柔じゃあないわよ?」

 優しく笑いかけるホタルは奏音の頭をゆっくりと撫でる。

 なおも湧き出す涙を手で拭い、ありがとう、としゃくり上げながら奏音が言う。

 次いで、何か言おうとしたときだった。

 ノックの音。慌てて乱暴に涙の跡を拭き取った奏音が、はい、と応じる。

「……また来たよ、奏音」

 看護師と一緒に入ってきたのは一人の男だった。どこか暗い影を纏う男は、よく見れば奏音に似ているような気がしないでもない。

 なんとなしにそちらへホタルが目をやった瞬間だった。

 

「こ、来ないで!」

 

 奏音の絶叫が響き渡る。

 ホタルの手を握っていたはずの彼女の手は、いつの間にか大きく振り上げられている。さながら、ここにないタクトを振るおうとするかのごとく。

「壊す……壊してやる‼」

 叫びはやがて敵意を秘めたそれへと変じていく。手元にない武器を彼女だけに見える幻と振るい、男を言葉通りに壊そうとする。

 落ち着いて、と必死に呼びかける看護師の声も耳に入ってはいない。

「芥屋さん、再現坂さん、申し訳ないのですが一度外に──!」

ばたばたと駆けてくる他の看護師と入れ替わるように、ホタルと男は部屋を離れる。

扉が閉じる寸前まで、ホタルの耳には奏音の叫びが焼きつけられていた。

 

 

「……それで貴方は? カノンとはどういった関係で?」

 待合室まで戻り、備え付けのソファーに座ったホタルが男に尋ねる。

 男もソファーに座りながら、

「──初めまして、僕は再現坂響也。奏音の父だ──君は奏音の友達かい?」

「……ああ、カノンのお父様でしたか。私は芥屋蛍。カノンとは……そうですね。よく彼女の演奏会に顔を出していました」

「ああ、そうか。今日は、良いニュースがあったから、それを伝えようと思ってきたんだが……僕が行くと、いつもああいう反応なんだ」

「良いニュース、ですか?」

 首を傾げるホタルへと再現坂は笑顔で答える。

「ああ。奏音のカース感染が、治るかもしれないんだ」

「! 治る!? 治療法が分かったんですか!?」

 思わずホタルが立ち上がる。何しろ二年にわたって探し求めたものだ。手がかりどころか答えを得たという人物を前にして、いつもの冷静さの仮面は被っていられなかった。

 一度頷いた再現坂が、

「ペルセウスの涙という魔法石を知っているかい?」

「ペルセウスの涙……いえ、そういったものはあまり詳しくは」

「僕は研究員をしているんだけど、その魔法石を奏音の心臓部に埋め込むことで、奏音のカース感染を消去できる可能性が発見できたんだ」

「カースを……消去? そんな事が、本当に?」

「ああ」

 力強く首肯した再現坂は、ふと思いついたように付け加える。

「そうだ。よかったらこの石を探すのを手伝ってくれないか?」

 再現坂の頼みに少し考え込み、ホタルはゆっくりと告げる。

「それでカノンを治せるなら……ですが、そのペルセウスの涙の在処の手掛かりはあるのでしょうか?」

 当然といえば当然の疑問にも、再現坂はかばんから取り出したパソコンを操作することで答える。

 これを、と言って彼がホタルに見せたのは金髪の少年の画像だった。

「情報屋によれば、今はこの少年が保持しているらしい──名前をポラリスという」

「ポラリス……その画像をこちらに送っていただいても?」

「ああ、構わないとも──連絡先を教えてくれるかい?」

 ホタルが自らのメールアドレスを教えれば、パソコンをさらに操作した再現坂から写真が届く。

 携帯で確認したホタルはしっかりとその姿を頭に叩き込み、懐に仕舞う。

「……では、もし何かありましたら、連絡は今のアドレスに。彼の消息についてはこちらでも調査してみますので、何か進展があれば連絡します」

「ああ、頼んだよ」

 ふっ、と口元を緩めた再現坂が手を差し出す。

 握手の手をホタルが取って、契約が成立した。

 

 

5.彼の契約

 

「……なんやこれ」

「え? 見ての通りのバトルフィールドだよ。レディーーーデュエル!」

「いや見たら分かるんはそうやけど……聞きたいのはなんでこんな時間にそんなモン広げてんのかっつーことや」

「ちょっと眠れなくなっちゃったからさー、一緒にゲームしない?」

 時刻23時、もう日付が変わろうかという時間帯に水島は彼の通う学園の学長に呼び出されていた。

 彼を拉致と言った方がふさわしい方法で入学させた桃色の髪の少女は、水島を気に入ったのか事あるごとに学長室に呼んでくる。最初は逃げようとしていた水島も、大魔法まで使って無理に召喚されるに至って諦めの境地に達した。

 今日も今日とて呼び出されて学長室に入って、そして目に入ったのが地べたでカードをシャッフルしているドロシーだった。水島のよく知っているフィールド、挙句ディスクまでセットだ。

「ほう⁇ なんやぁドロシーも決闘者なんかい。よし、熱い闘いを繰り広げようやないか……‼」

「ソリッドビジョンを魔法で再現したんだ! 試しにどうかなって」

 水島はワクワクした表情のドロシーに引っ張られるように自らのデッキを取り出す。

 向かい合って座った二人は、フィールドにそれぞれのデッキを取り出す。

 

『デュエル‼』

 

 当然の如く開戦前に叫ぶ二人は正しく決闘者だった。

「私の先行、ドロー! 私は永続魔法《守護神の宝札》を発動! これにより手札を5枚捨て、新たに2枚ドロー! そしてこのカードが存在する限り、私の通常ドローは2枚になる! ──ねえねえ、光くん。もうハーベストでの生活には慣れた?」

 手札からカードを切りつつ、ドロシーはそんな質問。唐突に教職らしいところを見せた彼女へと水島は軽―く答える。

「まあまあかなー。なんかゲームでつながっとった友達とか幼馴染もおってびっくりしたわ」

「そっかそっかー。でも、楽しんでもらえてるようで嬉しいよー。君のこと、すっごい適当に連れてきちゃったし。あっ、ここでリバースカードオープン! 永続罠《王宮の鉄壁》! このカードがフィールドにある限り、カードを除外することはできないよ!」

「適当に連れてきたって自覚あるんか‼ ならもうちょっと丁寧な扱いしてくれや……っておい、そのコンボは……」

 ゆらりと不安そうに水島の声が揺れる。

 ドロシーはといえば、気にした様子もなく、

「ところでさ、最近、現実世界の方でスクールアイドルっていうのが流行ってるんだって。ハーベストでもやってみようと思うんだけど……光くん、この試合で負けたらさ、アイドルやってくれない?」

「それ今言う!? 負け確なんやけど!? 『やってくれない?』とか言うてるけど実は拒否権ないんやろ!?」

 声真似まで交えて器用に喚く水島へ、ドロシーはにっこりと、これ以上はないだろうという、実に実にいい笑顔で、

「もっちろん‼」

 そこから先は虐殺であった。

「ってことで……《アマゾネスの射手》の効果を発動。自分フィールドのモンスター2体をリリースし、相手に1200ポイントのダメージを与えるよ! 2体の《ボルト・ヘッジホッグ》をリリース。そして自身の効果で特殊召喚された《ボルト・ヘッジホッグ》はフィールドを離れる際、除外される! ――でも《王宮の鉄壁》の効果でカードは除外されない。自分フィールドにチューナーモンスターがいる為、墓地の2体の《ボルト・ヘッジホッグ》を特殊召喚、《アマゾネスの射手》の効果を発動‼ 自分フィールドの《ボルト・ヘッジホッグ》を2体をリリースし、相手に1200ポイントのダメージを与える──以下ループだけど聞く?」

「聞きたいと思うか?」

 立て板に水、といった調子で続いたえげつないワンキルコンボを前に、水島はお手上げといった調子で手札を放り出す。

「よかった、私の勝ち!」

 渾身のドヤ顔による大人げなさの体現のようなドロシーの勝利宣言。

 かくしてスクールアイドルなるものになることが確定してしまった水島光(21)。キラキラの衣装で歌いながら観客へと笑顔を向ける自分を想像してがくりとうなだれる。

 そんなことなど気にもせずに、

「あのね! アイドルってね、人に夢を与える素敵なお仕事なんだよ! 私ぷろでゅーさーやりたいから! 君のこと、全力でプロデュースするからね♪」

「いや……それするんやったら俺よりも俺の幼馴染頼った方が当たりやとおもうけど……?」

 目を輝かせて言うドロシーへせめてものの抵抗を見せる水島。

「光くんにやってほしいなって!」

 学長は聞く耳を持たない。ぐいぐいと水島へ顔を寄せて迫る。

「は? 俺もう20歳越えてるが? キツイが⁇」

「……変身魔法かけてあげようか?」

「やめろや‼ 俺のショタとか需要ないやろ‼」

「TSの方がお好み?」

「女体化してまで!? 正気か!?」

 脅迫の域に達している一言に身の危険を感じ、抵抗の仕方を変えることにする水島。

「……俺、普通にタバコとか吸っとるんやけど?」

「……ちゃーんとアイドルしてくれたら単位あげちゃうんだけどな?」

「………………………………くッ」

 学長権限の乱用という最終手段に顔を歪めて考え込む水島光(成績下降中)。

 そして、

「………………わかった‼ やればええんやろ、やれば‼」

「よかったぁ、それじゃあよろしくね!」

 単位を得た代わりに尊厳やら何やらを喪った男の顔は、どことなく崇高な決意に満ちているようにも見えた。

 

 ……気の所為かもしれない。

 

 

6.同僚

 

 ポラリスと名乗った少年を連れ、とりあえず速水は寮の自室へ戻る。幸いというべきか、他の生徒に見られるようなことはなかった。

 ポラリスが寝たままならどうしようか、とも考えていたのだが、部屋に着くと彼は「……ありがとう」と呟いて速水の背中を下りる。いつの間にか起きていたらしい。きょろきょろと辺りを見回しているのを見るに、本当についさっき起きたのだろうが。

「……ここは、どこなの?」

「ハーベスト。魔法教えている学校だな。もっと言うならそこの寮──ていうかオレの部屋がここ」

「魔法学園ハーベスト……聞いたことはあるよ。ここがそのハーベストなんだね」

「多分そのハーベストだ」

 そも、速水の知る限りでハーベストという名前の学園がここ以外にないのだが。

 会話を交わしながらポラリスは頭を押さえ、ずっと何かを考え込んでいたが、やがてがくりと顔を落とす。

「ごめん、自分のこと思い出そうとしても、何故か上手く思い出せなくて……何かすごく怖い思いをして、どこかから夢中で逃げてきて……それで……気が付いたら、船に乗ってここまで来てた」

「いいよ。踏み込んでも俺が面倒だ。さっきも言ったがもう他のヤツにアンタを任せる気満々だからなオレ」

 本気でそう言っているのだろうと分かる、心底から関わりたくないといった声。

 ポラリスの顔がえ? ボク見捨てられるの? といった捨てられる直前の子猫のようなものになる。

 応じる速水は次のアテがあるから見捨てるとは違うだろう、という顔をしているのだが、ヘッドギアをしている以上はポラリスからそれは見えない。気まずい沈黙が流れる。

 やがてそれを取りなすようにポラリスから、

「あっ、あの……ボクの腕、キミが治してくれたの?」

「ん、ああ……放置しても逆に面倒だろうから」

「……えっと、ありがとう」

「やめてくれ。なんかいい事した気分になる」

 言いながら顰めた速水の顔も、ポラリスには見えない。ニコニコしながら彼を見上げている。

 ヘッドギア越しでも分かるくらいにはあからさまな気まずさを漂わせ、速水が言う。

「ひとまずは学長に報告だな。お前を任せられそうな奴を探さないと」

「……やっぱり速水君が面倒見てくれるわけじゃないんだね……」

「柄じゃねえんだって」

 わいわい言い合いながら、学長室、つまりはドロシーの部屋へと向かう二人。傍から見ればそれは仲のいい兄弟のようでもあった。

 

 

「学長さんってどんな人?」

「奇人」

「へえ……? なんだか会ってみるの楽しみかも」

「本気か? 本気で言ってるのかお前?」

 学長室前の廊下で掛け合いをしながら、速水はノックすることさえなしに学長室の扉を開ける。散々にドロシーに振り回された末、かの学長への敬意を捨てるに至ったが故に欠かれた礼儀。

 しかし今回はそれが仇となった。

「ほら、光くん早く早く! 着方が分からないなら着せてあげるから」

「一人で着れる‼ 子供やないぞ‼ くっそ……なんで俺がこんな……」

 ドロシーは大体いつも通り、速水の見知った学長だった。

 それよりも学長室への先客の方だろう。速水と同年代に見える青年が、メイド服に袖を通している様だった。純白のフリルがよく映えている。

「………」

 中の様子が見えていないポラリスを他所にそっと扉を閉じる速水。

 当然ながら訳の分からないポラリスは困ったようにその顔を見上げる。

「………よし」

 一度大きく息を吸って速水はもう一度扉を開ける。

「あ、都くんだ。そっちの人は?」

「帰ってくれ……頼む……尊厳を失いたくないんや……」

 見知った学長。

 見知らぬメイド男子。

「部屋間違えたみたいだし帰るか……」

「帰ってくれ少年‼ 金なら渡す‼」

 メイド服着用中の水島光(21歳・男性)の脳裏には後悔の記憶がフラッシュバック。

 

『光くーん。実はですね。今日は君にプレゼントがあります! ほらほら、とにかくこっち来て』

『……嫌な予感するんやけど』

『……はいっ、これ、アイドルの衣装だよ? ほら、着替えてみて?』

『……女もんやんけ! 衣装間違えとるぞ‼』

『が・く・ちょ・う・め・い・れ・い♪ この服着てる光くんがどうしても見たいのーっ‼ 着替えてくれるまでここから出さないからねー!?』

 

 宣言通りに扉が閉じられてしまったのが運の尽きだった。もはや学長命令に従う以外に部屋を出る術はなく、だからといって、よりによって着替えの真っ最中に人が入ってくるとは完全に予想外だ。というか外からは開いたのか。

 そんな後悔に端を発する絶望に塗れた叫びを前に、流石に気圧されたか、速水も一歩中に踏み入れた足をそのまま返そうとして、

 

 ぴしゃん、と。

 

 無情にも速水とポラリスの前で扉が閉まった。試しに押してみるが開きそうにもない。

「なんでじゃああああああああ‼‼‼」

 鼓膜が裂けそうな絶叫を地面に拳を叩きつけて発した水島は、直後我に返ったように速水へと、

「少年、そこのヘルメット被った少年」

「……趣味は人それぞれだと思いますよ」

「ちゃうんや。真面目な話させてくれ」

「アンタこの状況で真面目が通ると思ってるのか」

「うんうん、色んな趣味の人っているよね!」

 さしもの水島も元凶たる少女の茶々にはきっ、と睨みつけることで反応した。

 が、即座に速水へと向き直れば、

「金なら払う。俺にステルスかけてくれへんか」

「………」

 ポラリスにさえ見せなかったほどに『面倒』という感情を全身で表現しながら速水が指を鳴らす。同時、水島の姿が(少なくとも速水とポラリスには)見えなくなった。

「とりあえず見るもおぞましいものは消えたな……」

「ありがとう恩に着る……あとで5000円くらい報酬渡させてもらうわ……」

「三割増しなら受け取る。じゃあ学長、こっちこそ真面目な話をさせてくれ」

「じゃあ二人とも、そこに座って。詳しい話聞いてもいい? あ、光くんはせっかくだしその衣装でお茶汲みしてくれる?」

「は?」

「どうせここから出られない間、暇でしょ?」

「チッ……やりますよわかりました、わーかーりーまーしーたぁー……」

 ぶつくさ言う水島の声と共に勝手に動き始める紅茶用のカップやソーサー。ステルスの魔法で透明になった水島がお茶の準備をしているためなのだが完全に絵面がホラーである。

 一方、そんなものは見えないしさっきだって何も見てないという体を貫く速水は自分とポラリスの椅子を引きながら、

「へえ、いつの間にかお茶汲み雇ったんだな」

「あ、ありがとう」

 礼を言うポラリスにはひらひらと手を振って済ませる。

 テーブルを挟んで向かい合うドロシーはというと、まじまじとそんなポラリスを見つめていた。

「ええっと、それでその子は……?」

「ちゃんと説明する」

 宙に浮かんだティーカップがテーブルに置かれるのを合図に、速水は昨夜の出来事から話し始める。

事情説明に、紅茶が冷めるほどの時間はかからなかった。

 

 

「……なーるほど。不思議なこともあるもんだねえ」

「学長にも心当たりはないか……」

「うん。まあ、どんな事情があってもここに来てくれたんだし、ポラリスくんさえよければハーベストに入学しない? 行く場所がないならちょうどいいと思うんだ」

「……どうする? わざわざ学長がお誘いくれてるが」

 ドロシーと速水の二人に問われたポラリスは、おどおどと二人を見比べ、

「……ボ、ボクなんかが居させてもらっていいの?」

「全然大丈夫だよ? 君が学園に危害を及ぼしたりするとかそういうことがなければ」

 またもドロシーと速水の間で視線を行き来させ、やがて俯いて考え込むポラリス。

 少しして顔を上げた彼の顔には、まだ迷いがあったもののしっかりとした声で、

「じゃあ……お願いします」

 そんな答えを聞いたドロシーは水島がいる(と思われる)方を見て閃いたように、

「あ! そうだ、せっかくだし君もスクールアイドルやってみない? 顔整ってるし、すごくいい声してるし!」

「何言ってんだコイツ」

「被害者を増やすな⁇」

 自らの生徒二人からの総ツッコミもどこ吹く風。いい事思いついた! と言わんばかりのニコニコ笑顔だ。

 当のポラリスは不思議そうに速水を見る。

「ねえ、アイドルって何?」

「……そこのアイドル候補生らしいのが教えてくれるんじゃねえの」

 言いつつ速水が水島のステルスを解除する。再び衆目に晒される成人男性のメイド服。

「やめろや‼‼‼」

「うるさいんですけどー。歌と踊りで笑顔届ける存在がそんなんで声使っていいと思ってるんですかー」

「いやアイドルちゃうんやが!? 勝手にせんといてくれるか!?」

「諦めろどうせ学長命令だ」

「絶望の極み」

 膝から崩れ落ちる水島。

 そんなものなど目に入らないとばかりにのんびりと紅茶をすするドロシーが、

「みんなから愛されて、人に夢を与える仕事だよ!」

 途端にポラリスが目を輝かせる。

「じゃあ、ボク、やってみたい……!」

「コレ見て言う?」

 これ見よがしにメイド服をひらひらさせる水島の意見は黙殺された。

 正気か? という顔をしている速水も相変わらずヘッドギアのせいで見えない。

 ぱん、と手を打ち合わせたドロシーが、

「はい、決まり! じゃあここにいる水島くんと二人でユニット組んでもらうからね!」

 一つ頷いてポラリスは水島の方を向くと、ぺこりと頭を下げる。

「その、ボク、分からないことが多いと思うけど……よろしくお願いします」

 真摯な言葉を聞いて、アイドルという言葉に向けた真剣な思いに触れて、水島は気まずそうに速水に囁く。

「……なぁヘルメットの少年。そこの……金髪の子は……おかしいんか?」

「昨日今日の知り合いだから何とも。まあ普通ではない」

「そうか……。うん、そうか。わかった。俺を腹をくくろう……。何はともあれよろしくな、金髪の少年」

 まとまったみたいでよかった、と速水は口元だけヘッドギアを開いて紅茶をすする。端的に言って油断していた。

 よって続くドロシーの言葉は完全に死角からの一撃だった。

「それで、都くんはポラリスくんのプロデューサー兼お世話係に任命! どのみち新入生にはこの学校でのルールとか教える人が必要だし、ちょうどいいよね」

 げほっ、というのは紅茶が気道に入って速水がむせた音。

「……うん?」

 状況の理解が一拍遅れた。

 その間、

「頑張れよ少年」

 ぽんと肩を叩く水島。

「よ、よろしくお願いします……」

 今度は速水に頭を下げるポラリス。

 何がどうなってちょうどよくなった、という疑問を押し潰す勢いで外堀が埋まっていく。

「待て。そんな謂れはオレにはないはずだ」

 抵抗しようとした瞬間、肩に手を置いたままだった水島が顔を寄せて呟く。

「学長命令……」

 ぴたりと動きを止める速水。

「そういうこと♡」

 トドメとばかりににっこりと微笑むドロシー。

 自分で自分の首を絞めていたことに気付く速水は唸る他ない。

「諦めろ少年!」

 同族(被害者)を見つけて意気揚々としている水島に裏拳を叩き込んでため息を吐く速水。

 ぐえっ、とのけ反ったものの水島はゾンビみたく復帰してくる。

「ははっ……はっはっは、被害者同士仲良うしようや……」

「なんだ……フリードからの依頼といい、ここのとこタダ働きばかりだぞ……」

「可哀想に……俺が後でなんか奢ったるやん……」

「それよりこの権力者の横暴を何とかしてくれる方が喜ぶ」

 これ以上ないドヤ顔をしているドロシーを親指で指すも、水島はゆるりと首を振る。

「それこそカント先生くらいやないと無理やぞ」

 深い納得と共に速水はカントに胃薬を差し入れることを決意する。

 と、水島がふと気付いたように、

「……なぁドロシー、もう着替えてええか? しんどいわコレ。俺いくつやとおもとるん?」

「あっ、それ以外の服を着ようとすると爆散する魔法かけておいたから!」

「なんで⁇」

「諦めろ学長命令だ」

 カシャカシャと水島メイドを携帯で写真に収めながら、速水がさっきと同じことを言えば、水島がやたらとドスのきいた笑顔でその携帯を手で押さえる。

「消せ⁇」

「せめて弱みは握っておかないとな」

「仲良さそうだね?」

「そんなつもりはない」

「とりあえず都くんには、まずポラリスくんに学園の中を案内してしてほしいかな」

「一番の元凶が一番横暴だな?」

 漫才じみたやり取りを繰り広げながらも、ポラリスに施設の説明は必須なのは確かであり、とりあえずポラリスを連れて部屋を出ることにする速水。

 なおもぎゃーぎゃーとドロシーに抗議している水島を気にせず、しっかりと学長室の扉を閉めたところで、

「あの……お願いがあるんだけどいいかな……?」

「何だよ」

 若干不安そうにポラリスは言う。

「ボクの身体のことは、誰にも言わないで欲しいんだ。ボクは機械だ。だけど、ボクは、生きたい。人間みたいに生きたい。人間らしい生き方をして、人に愛されたい……」

 切実に、滔々と、そう告げて彼はおずおずと速水を見上げる。

「……機械が、そんなことを思ったらダメかな?」

「──少なくともそのカタチは人間だろう。なら、そこに込められる意味も意思も人間そのものだろうさ」

 小難しい言い回しで、言外にポラリスもまた人間だと返す。

 ポラリスは少しきょとんとしていたが、やがて唇を緩ませて微笑みながら言う。

「……ありがと」

 

 

7.呪鎖を学ぶ

 

 機械の身体の少年のお世話係になろうが、学長直々にアイドルに任命されようが、果ては友人の病を治す術を求める最中だろうが、彼らの本業は学生である。当然、授業がある。

 その日の授業は『カース感染学基礎論A』、講師は魔界の大公爵アスタロト──クリーチャーとしてハーベストに在籍する変わった経歴の教師だ。

 他の多数の生徒と同じに速水が、水島が、ホタルが席に着いて待っていると、チャイムと同時に教壇に魔法陣が現れた。

 直後、魔法陣の上の何もない空間に霧が形を取ったように長身の男性が姿を現す。これ以上ないというぐらいに魔法使いらしい登場を果たしながら、事もなげにアスタロトは朗々と告げる。

「さて、講義を始める」

 すると手に持っていたレジュメの束が次々と宙に浮いて生徒の元へと運ばれていく。

 受け取ってぱらぱらとめくった生徒の幾名かはあからさまに顔を顰める。

 ある種の分かりやすい力でもあるカースを取り扱うこの講義は、内容としては相当な人気があるのだがアスタロトの授業方法が大量のレジュメと難語の嵐であるため、真面目に聞く生徒と居眠りをする生徒で真っ二つに割れる。

 後者の生徒なのであろう、嫌そうな顔をした生徒を気にかけることなくアスタロトは話し始める。

「レジュメの一ページ目に、図が書いてあるだろう。それを見て欲しい。この図は、ユング心理学で提唱されたものだ。人の精神の構造を表している」

 それは凸型の図であり、上段に『意識』、中段に『個人的無意識』、下段に『集合的無意識』と記されている。稜線にあたる下段の線をなぞっていけば、集合的無意識が他の凸型と繋がっているのも読み取れる。

「カースが感染するとこれでいう個人的無意識が蝕まれ、汚染される。そのため欲望が暴走したり、妄想が具現化して幻覚を見たりするなどの症状が起こる」

ここでアスタロトは一旦言葉を切り、講義室をぐるりと見渡す。

「しかし、カースの恐ろしさはそれだけではない。君たちはカオス・インフェクションという魔法を知っているか? 禁忌の大魔法として知られているこの魔法は、大量のカースを代償として、集合的無意識と呼ばれる、全ての人間に共有されている精神にカースを感染させる。この魔法が発動してしまえば、集合的無意識が共有されている全ての人間を生かすも殺すも可能となる。だから禁忌なのだ」

 黒板に書かれたレジュメと同じ図で、アスタロトが『集合的無意識』の領域を指でなぞって隣の凸と繋げる。繋がった先からも、また別な意識へと。

「しかし一つ例外はある。既にカースに感染している者は、カオス・インフェクションの効果を受け付けない。何故ならば、集合的無意識は個人的無意識を超えた意識の根底に存在するからだ。そして、同時に二つ以上のカースは感染しない。つまり、既に別のカースに感染しているものは、個人的無意識にある別のカースが、集合的無意識に入ろうとするカースを弾き出すため、カオス・インフェクションの効力を受けない。……といっても、カオス・インフェクションから逃れるためにカースに感染するなどということは、本末転倒だ。しかし例外処理の一つとして、覚えておいて欲しい」

 ここまでを述べてからアスタロトは自らのレジュメを教卓に置き、またぐるりとその場にいる生徒を見渡す。

「……それでは、ここからはグループワークとする。『ハーベストでカース感染の被害を防ぐための考えられる予防策』をテーマに各班で話し合い、意見をまとめてから時間内にレポートで提出してほしい」

 席が近い生徒で区切ることで即席の班が作られていく。

 そして、

「お、奇遇やなヘルメットの少年。そっちの子は初めましてやけど」

「……どうも」

「本当に奇遇なのかをこちらとしては疑いたいんだが……」

 水島がにこやかに話しかけたのはホタルと速水。

 そしてそのにこやかさのまま、

「先に言っとくけど俺は難しいことあんまり考えられへんからな。ってことで自己紹介でもするか?」

 清々しいまでの他力本願。ホタルは気にした風ではないが速水はヘッドギアの下でジト目になっている。自分のことは棚に上げている彼の頭から、ポラリスに対する最初の対応は都合よく消えている。

「速水都だ」

「俺の名前は水島光や、よろしくな‼」

「相も変わらずうるせえ……」

「私は芥屋蛍。よろしく」

 若干の不和を孕みつつも自己紹介は終了。課題解決のために三人での話し合いへと入る。

 レジュメを流し見ながら速水が、

「一応オレはクリーチャーハントをやってるわけだが、これは対症療法だな」

「カース感染の治療法ね、それは。簡単な話だから話題にもならない」

 言いながら僅かに沈んだホタルの声に男二人が気付くことはない。二年前の未解決事件など知らない以上は仕方がないのだが。

「精神から感染するって話なら心でも殺せばいいんじゃないのか。方法は知らない」

「いうて心っていうもんはどこの器官にあるとか断定されてへんぞ。心を殺すって言うんは無理ちゃうか? クリーチャーを入れへんのと同じくらい」

「そうねぇ。クリーチャーを入れない……というのはそもそも不可能な話だし。そもそも、あの紋章学科の子と一緒に居るフェニックスだってクリーチャーだもの。既に学園内にクリーチャーがいるのだから、入れないという方法自体が既に論外」

「まぁ人体に無害なカースだってあるし、共生主義者もおるしな」

「だから方法論は分からんと言った。現実的にいくならファイアウォール的なものか? 精神に防壁をかける」

「なるほどな……精神に防壁か」

「精神防壁……カース専門の精神科医が使える、感染を防ぐ魔法みたいなものかしら」

 議論こそ踊れど、核心を突くような意見は出ない。所詮は学生の知識でしかないといえばそこまで。

 その結論に至ったか、最初の宣言の割には真面目にディスカッションしている水島が、

「いうてこれや! っていう決定的な方法は無いわけで。答えもないこの議論にどう答えを見つけるか……それこそカース感染をどうにかするっつー話やったらアマリリスに頼った方がええ気もするがな」

「それっぽいこと言っての提出が解法とみた。というか先生の方も方法論までは求めてないんじゃないか?」

「まあ、餅は餅屋とも言うし、カースの事はクリーチャーの方がよく分かっているでしょうしね。アスタロト先生とか」

「それで出すか? あなたが一番知ってるでしょうって」

「怒られんぞ……絶対怒られる……」

「それでいいなら私は止めはしないわよ。後でどうなっても知らないけど」

「いや辞めとこ? な? 精神防壁とかが1番マシちゃうか? なっ?」

 とても真面目とはいえない妥協の方へと転がり出す議論。提出用のレポートにつらつらと『精神の防壁を築く(方法は分からない)』などというふざけたことが書き連ねられていく。それで出すつもりかコイツ、というツッコミは悲しいことに誰も発さなかった。

 そんな不良生徒どもなぞ露知らず、アスタロトはこほんと咳払い。

「さて、議論はこのくらいでいいだろう。カースはクリーチャーが生成するものだということは知っていると思うが、身体のどの器官で生成されているか、ということについては知っているか? ……そうだな、ホタルに聞こう」

「はい。クリーチャーの心臓が、同時にカースの生成器官として機能しています」

 迷うことない即答。カース特対である以上は常識であるためにこの解答速度も当然だった。

 それを知った上で聞いたのであろうアスタロトも一つ頷き、

「ああ、そうだ。心臓。ここからカースは生成される。君たちも知っている通り、私はクリーチャーだが、私は自分の意思で心臓からのカース供給を停止させている。やろうと思えば、今ここでカースを放出させることもできてしまう」

「センセェ! 俺ら死んでまいます!!」

 悲鳴じみた叫びを上げる水島。無論オーバーリアクションだ。

「黙って聞いてくれ」

 ぼそりとした速水の呟き。聞き遂げた水島がてへぺろして周囲に苛立ちを引き起こしたりもした。

 アスタロトは変わらず超然としている。

「まあ、そうだな。もちろんやりはしないが──。さて、私が言うのもなんだが、最も良い予防策はカースを如何に学内に侵入させないかであると考えられる。しかし、それにも限界がある。そういう意味で、今日のお前たちの意見は非常に参考になった」

 授業を締めにかかるアスタロトはレポート回収用のボックスを用意しつつ、

「さて、今日の講義はここまでだ。何か質問は?」

 形式的な確認であり、そこで誰かが質問をすることなどそうはない。だが、その日は違った。

「せんせー! 質問です! あります! はい!」

「何かね」

 小学生かと言いたくなるような元気いっぱいの声。立ち上がって挙手までして質問があると主張するのは水島だ。

 早く帰りたかったのであろう不真面目に類する生徒がうげ、といった顔にはなるものの、水島もアスタロトも気になどしない。授業態度としては水島の方が褒められてしかるべきなのは事実だが。

「例えばの話ですけど、もしクリーチャーがカースの供給を止めたとして、そのカースに感染していた人達はどうなるんですか?」

「原則、カースによる影響は止まる、はずだ。だが、それによってもたらされた結果までは変わることはない」

「……先生もその場に立ち会ったことがないから詳しいことはわかんないって感じですかね?」

「なに、立ち会ったことこそあるが、例外もあるかもしれんというだけだ」

「ほう、そうなんですか……でもまぁ俺らにとっての得策は、供給源である心臓をしっかりと潰すことというふうに捉えてもええんでしょうか?」

 アスタロトは大きく頷き、

「まあ、学生のみで対処するとなれば基本的にはそういうことになるだろうな」

「わかりました! 長々とすんません! ありがとうございました!」

 水島が着席してからは他に誰が手を挙げることもない。それを確認してからアスタロトは、

「では、また来週に会うとしよう」

 ふわ、と浮き上がった生徒の手元のレポートがボックスに回収されていく。

 ポケットにボックスを仕舞ってから、再び現れた魔法陣の上に乗り、またも霧と溶けるように大公爵は姿を消した。

 同時、チャイムの音が講義の終了を告げる。

 だらだらと生徒が席を立つ中、早足で教室を出る水島の姿があった。

 

 

8.偶像を目指す

 

「すんません、遅れました!」

「いえ、私達もついさっき準備できたところですから」

「うん、ついさっきここに着いたから」

 水島が駆け込んだのは特別器楽室。防音、響音の整ったこの部屋には水島より先に二人の姿があった。

 一人は初めて入る部屋を興味深げに見回すポラリス。もう一人はハーベストの講師にして、現実世界では相当な人気を誇るシンガーソングライターでもある本居静華。

 教本と思しきそれを片手に彼女は、

「初めまして、トレーナーを務めます本居静華です、よろしくお願いします。それで二人は、人前で歌う経験はどれくらいありますか?」

「ボクは全く……」

「まぁカラオケ程度っすかね」

 ちょっと不安そうに答えたポラリスに、あっけらかんと答える水島。

 二人それぞれの回答を受けて少し考えてから本居は、

「では、最初に呼吸法から練習しましょう。まずは……」

 優しい物言いで始まった指導は、しかしさすがプロというべき非常に的確なもの。

「光さんは、もう少し呼吸を意識して発声した方がいいですね」

「うっす!!」

「ポラリスさんは、すごく素敵で魅力的な声をしています。ですが、少し力が入りすぎかなと思いますので、もう少し力を抜いて、落ち着いて発声してみてください」

「は、はい……!」

 呼吸法に始まり、声の出し方、身体の使い方や姿勢までも教えていく手際は、歌など素人でしかない水島にもはっきりと分かるほど見事なものだった。

 ポラリスの透き通るようなロングトーンが器楽室に響き渡り、ふぅっ、と息をついた彼が目を輝かせる。

「できた! できたよ先生、光くん!」

「すごいですよ、ポラリスさん。水島さんもです。初めてでここまで成長するなんて──もう少し、練習してみましょうか」

 穏やかに微笑んで本居は短めの歌を一つ歌う。

 その歌に合わせて、水島とポラリスの目の前に黒いカエルと白いカエルが現れる。ゲロゲロと鳴く二匹は本居の歌ったリズムをきれいになぞっていた。

「この子達は私のペットのノワールとシエルです。今からこの子たちのメロディを追いかけて、8小節を輪唱してみてください……では」

 奏でられたのはピアノのメロディ。伴奏に合わせ、水島とポラリスの歌が響く。

 同じように幾度か歌を繰り返したところで休憩が入る。

 さすがに疲れたのか、壁にもたれて座り込んだポラリスへと水島がけらけらと笑いながら近寄る。

「おうやるやんけ! ええ声しとるやないか!」

「あ、光くん……」

「光でええぞポラリス!」

「え、さすがに呼び捨てにするわけには……」

「ええてええて! 楽に呼んでくれ!」

「じ、じゃあ……光……?」

「おう!」

 戸惑った表情であったポラリスも、パーソナルスペースなぞ知ったことかとばかりに心理距離を詰めてくる水島にくすりと笑う。

「……うん、一緒に頑張ろうね」

「おう!」

 

 

 交友を深める二人が、初ライブは二週間後とドロシーから聞かされるのはこの三十分後。

 水島が「間に合うか!!」と絶叫するのは三十分と二秒後。

 

 

 

「ただいま、都くん! 聞いてよ、今日はいいことがいっぱいあったんだ! まずね、静華先生に褒められたんだ。すごくいい声してるって!」

「そりゃ結構。楽しめているようで何よりだ」

「それに、ボクのファンって言ってくれる人が来てくれて、握手して欲しいなんて言われたんだよ。すごく嬉しくて、つい笑顔が出たんだ。そうしたら向こうも笑ってくれて……なんだか、これって人間っぽいなぁって」

「? っぽいも何もとっくのとうに人間じゃあなかったのかお前は」

「うん、そうだね。でも全部、都くんのおかげだよ。都くんが、ボクを助けてくれて、ここまで連れてきてくれたから、ボクは今……なんていうんだろう? この感情。嬉しさと楽しさがいっぱいで、こんなの初めてだ。生まれて初めてだよ。こんな気持ち……生きたいって気持ち……本当にありがとう、都くん」

「……やめてくれ。いいことした気分になる」

「でも、感謝してるのは事実だから。」

「何度も言うが、柄じゃない。というか何故未だに面倒を見る羽目になっているんだ……」

「ドロシー学長に言われたからじゃないの?」

「あいつなんで学長やれてんの?」

「えと……えらいから?」

「設立者はつよい。とはいえなんでもやっていいわけじゃないよな……」

 「そう……なのかな?」

「そうなんだよ……まあいい。ライブとやらをやるんだっけか? せいぜい頑張ってくれ」

「うん! 都くんも見に来てね!」

「……まあ、気が向いたら」

 

 

9.裏側

 

 それは水島とポラリスのライブの前日。(学長主導で)ポスターが張り出され、チラシがばら撒かれ、宣伝効果は十分。道行く生徒も幾人かは新進気鋭のスクールアイドルの噂をしている。

 そんなお祭り前日の様相を呈した学園の片隅で、芥屋蛍は携帯の着信に気付く。

「……はい、芥屋です」

『もしもし、僕だ。再現坂響也だ。それでどうだい? ポラリスは見つかったかな』

 聞いた声にホタルは周囲から声を潜め、

「ええ。あの後、手始めに学園の在校生名簿からチェックしてみたのですが……そこで早速アタリを引きました。彼はつい最近、この学園に入学したそうです」

『なんだって? ハーベストに? 何か他に詳しい情報はあるかい?』

「そう、ですね……おそらく学長の思い付きだとは思いますが、どうもアイドルのようなことをしようとしているみたいです。今接触を図るのは時期尚早かと」

『アイドル……そんなことをしているのか。情報ありがとう』

 言っている方が自身の正気を疑う情報だが、再現坂に動揺はなかった。娘を救うためにそんなことは気にしていられないのか。

『君には話しておかないといけないと思ったんだけど、そのポラリスって少年は、人間の形をした危険なクリーチャーかもしれないって情報が入ったんだ。だから、もし接触する際は気をつけて欲しい。ただ、いきなり攻撃を仕掛けたりはしてこないだろうから、一度話してみて、ペルセウスの涙について探ってみてくれ』

「ヒト型のクリーチャー、ですか……情報提供、ありがとうございます。では、私はこのまま監視を続けておきます。時期を見て、話しかけてみます」

『ああ、頼んだ』

 通話を切って、携帯を仕舞うときにライブの開催を知らせるポスターが目に入る。

「………」

 クリーチャーであるかもしれないという少年は、そんなことなど微塵も感じさせない笑顔で写真に写っていた。

 

 

10.Life is ──

 

 ハーベストの一角、大講堂にて。

 講演会や大きな授業でもない限りは誰も訪れない場所に、今日は実に大勢の生徒が詰めかけていた。

 水島とポラリスの初のライブ会場であるここは、当然ただの学生が貸し切れるような場所ではない。しかしそこはドロシープロデューサーの腕の見せ所、しっかりと会場の使用権を確保してきた──職権乱用ともいうが。

 そんな舞台の裏に、ドロシーに呼び出された水島とポラリスがいた。

 そろって歩いてきた二人に、ドロシーが元気よく手を振る。

「あ、光くん、ポラリスくんー! 色々準備して大変だったんだよー? 会場取って、広報してー、いろんな人に無理いって手伝ってもらっちゃった。だから、今日は私もお客さんの皆も、いっぱい楽しませてね!」

「職権乱用酷すぎて草しか生えへんのやが? よう用意出来たなこんな会場」

「そこは気にしなーい! あ、もちろん君たち自身もめいっぱい楽しむんだよー! いい?」

「それは、まぁ、はい」

「はいっ!」

 ドロシーに負けないくらいに元気に満ちたポラリスの返事は、学園に来た当初とは別人のそれ。重ねたレッスンや他の学生との交流が着々と実を結んだ証でもある。度々(主にドロシーの手で)要らぬ知識を教えられそうになったりもしているが。

 二人の返事を聞いて少し嬉しそうに、何より楽しそうにドロシーは尋ねる。

「じゃあ、Are you ready ?」

「オーケー!」

「おっけーです!」

「それじゃあ、いってらっしゃい!」

 ドロシーがぱちん、と指を鳴らすと同時に水島とポラリスの姿はステージの上にあった。スモークが噴き出し、色とりどりのライトが乱舞する派手な演出がステージを包み、歓声がその周囲で爆発する。

 そのまま一曲目のイントロが始まる中、ポラリスはピンマイクを何度か叩いて調子を確かめ、そして笑顔で──会場の端に一人座ったまま音楽を聴くヘッドギアの青年を視界に捉えながら──叫ぶ。

「来てくれてありがとう!」

 湧き上がる歓声も、徐々にボリュームを上げ始める音楽も、一身に受け止めてポラリスは、

「ボクはこの前、本当につい最近ここに来たばかりで、それなのにこんなステージに立たせてもらうことができて、本当に嬉しい。緊張……? 緊張っていうのかなこれ。緊張してて、上手く話せないけどとにかく、今日は一生懸命歌いますから、ボクの歌を聴いていってください!!」

 次いで、ポラリスの促すような視線を受けて水島が前に出る。

「あー……えーと、俺は学長命令でアイドルやるはめになったんやけどな? まぁこうしてステージに立つからには精一杯やろうと思いますわ。おいそこ‼ 同じ部活の野郎ども‼ 笑ってんとちゃうぞ!! ……ってことでよろしく‼」

 不承不承という体で話し始めた割には、最後にはアイドルらしいきらりとした笑顔を見せる。

 そして音楽は最高潮に達する。

『それでは聞いてください! 「LIFE IS BEAUTIFUL」‼』

 二人の歌が、響いた。

 

 

11.邂逅

 

 それは大盛況に終わったライブの次の日。

 ライブの疲れなど見せることもなく、ポラリスがまたレッスンに向かおうとしたとき。

「ん……あれ? 開かないよ?」

 ポラリスが開けようとした部屋の扉が、ごつん、と何かにぶつかって動かなくなる。

「……建付けまで悪くなったのか、この部屋」

 近づいて速水が扉を押すと、今度は抵抗なく外に開いた。

 廊下に速水には見覚えのある女子生徒が一人。

 速水によって閉じられる扉。

「わあっ!?」

「……変質者が見えた気が」

 デジャブを覚える流れの中で大きく息を吸い、もう一度速水が扉を開ける。

「他の迷惑になるならドアを閉めてくれてもいいわよ。視えるし話はできるでしょうから」

 芥屋蛍がそこにいる。

 速水都はがくりとうなだれる。

「いや……話があるなら別に聞くんだが」

「あら、そう? だったら……そうね」

 事情追及等々を諦めた速水が言葉を止めたホタルの視線を追えば、きょとんとしたポラリスがいる。

「……こいつに何か?」

「今ちょっと、『ペルセウスの涙』というモノを探しているの。貴方達、何か知らないかしら? 噂話程度でも構わないから」

「生憎と。聞き覚えすらない」

「……そう。それで、そっちの貴方は?」

 ふっ、とポラリスの方を見ると、彼は愕然とした様子であったが、やがて、

「ペルセウスの涙……どうしてそれを……キミ、もしかしてあいつの仲間なの……?」

 頭を押さえ、苦しそうにしながら問う。

 問われたホタルは戸惑いながらも、

「……あいつ? 悪いけれど、貴方の言うそれが誰の事なのか、それが分からなければ何とも言えないわ」

「あ……うぐっ。はぁ、はぁ……それは、渡せないんだ……渡したら、あの子が……、あいつ……? あの子……? うぅ……っダメだ。思い出せない……けど、あぐっ──誰か……誰かは、わからないけど、大切な人を守るためなんだ。ペルセウスの涙は渡さない!」

「おい、落ち着け。少なくとも向こうに害意はない」

 速水の呼びかけも聞こえている様子はない。

 きっ、と鋭い目になったポラリスがホタルを押しのけて走り去る。

 廊下でそれを目撃した彼の同僚にも気付きはしない。

「あれ? ポラリス? 遅かったやんけ……あれ?」

「っ……そう、やっぱり貴方が持っているのね。悪いけど、私にも私の目的があるの。だから―――」

「なあ、そこの……」

「ニガサナイ……!」

 水島光が目撃したのは、廊下を駆けていくポラリスと、聞いている方がぞくりとするような声だけ残してふっと姿を消す、ホラー映画そのものの芥屋蛍の姿だった。

 突如として始まったステルス鬼ごっこを前に、残された男子二人は困ったように顔を見合わせる。

「──なんか明らかにヤバそうな感じだから追おうと思うんだがどうする?」

「いや、俺もそれが正解やと思う。追うか……」

「また面倒ごとの予感がひしひしとする……」

「ったく、おっさん走らせやがって……! あとで覚えとれよポラリス!」

 同居人、あるいは同僚を追いかけて、速水と水島は駆け出す。

 

 

12.感染源

 

 機械の身体で、少年は駆ける。

 どこを目指すかも分からず、ただ彼女から──徐々に自分を蝕む現実から逃げるように。

 ──蘇る記憶をいやいやと否定するように。

「ペルセウスの涙……どうしてボクは、それを守りたかったんだっけ……」

 びくん、とその身体が跳ねる。

「……っ、胸が痛い……ぐぅっ、苦しい……助けて……っ………誰か……!」

 叫び声が聞こえたか、ばたばたと慌ててそこに駆け寄ったのは、ポラリスのトレーナーでもある本居静華だ。

「だ、大丈夫!?」

 それは彼女がポラリスの身体に触れたちょうどその瞬間。

 彼を助けようとしたその行動には、噓偽りはない。純粋な善意であり、彼女の善性。

 だが──

「あ……」

 黒色があった。

 ポラリスの身体から噴き出したカースが、廊下を埋め尽くし、本居を包み込んだ。

 

 

「な、なんじゃあこりゃ……」

 さながら事故現場。いや、実態はそのものなのだろう。

 ホタルを追いかけてきた水島は彼女が足を止めたのを見て急停止し、そして絶句していた。

 廊下にいつもの賑わいはない。そこには幾人もの生徒が倒れており、そして一人だけ女性が立っている。

 ゆっくりと、ホタルを、水島を、速水を見つめる本居静華は、離れた場所からでも分かるほどの禍々しいマナを宿している。

「……ああ……私が、壊れていく感じがする。だけどね、すごく……すっごく、気持ちがいいの」

 そう言ってくすくすと笑う彼女にいつもの淑女然とした雰囲気は微塵もなく。

 こちらを見据える瞳に温厚な光はない。

「ちぃ~っす、本居せんせ……? えーと、せんせのことはええんでポラリスについて教えてもろても?」

 変わり果てた担当トレーナーへと恐る恐る水島が声をかけるも、返答はない。

 代わりに、

「貴方たちも、私がコワシテあげる。ダカラ、私のウタを聞イて?」

 不気味に響く言の葉と一緒に、彼女の持つマイクが水島に向けられる。

 不協和音。普段の彼女が奏でる『音楽』とはかけ離れた、メロディの体すら成していない単なる音が破壊として解き放たれる。

「どわぁぁあああ!? 死ぬ!! 死ぬが!?」

 対抗するかのようにうるさく悲鳴を奏で、水島は自らの魔法で障壁を展開してそれを防ぐ。

 壁の表面で弾けた音の弾丸は、やはり禍々しいマナを放っている。

 生徒に魔法を放つという蛮行を為しながら、笑い、嗤う本居にはもはや理性すら見られなかった。

「……せっかくのお誘いだけれど、私、今忙しいの。だから先生、後にしてもらえるかしら」

 吐き捨てるようにそう言って、己が邪眼を輝かせるホタル。

「教師と一戦とか冗談じゃあない……!」

 ヘッドギアを戦闘用のモードに切り替え、魔法の準備をする速水。

「なんでこんなことになんねん! 勘弁してくれ!!」

 撃ち込まれた魔法の威力に戦慄しながら水島が叫ぶも、本居にそれを聞く様子はない。

 一層、その昏い笑みを深めて本居はマイクを掲げる。

「みんな、みんなミンナみんなコワレましょう?」

「そっちで勝手に壊れててくれ。押し付けは学長で間に合ってる!」

「壊れんのは家族だけで勘弁してくれ!!」

 男子二人が好き勝手言う中で、ホタルは納得したように頷く。

「この魔力……またこの学園に……いえ……そう。彼がそうなのね」

 言って、さらに邪眼が輝きを増す。

 直後、本居のマイクが再び凶悪な音を──大気を震わす衝撃波を発する。

「ええい、防ぐのもキツいっちゅーねん……!」

 文句を言いながらではあるも、水島はしっかりと氷の壁を形成して他の二人に飛ぶ余波も防ぐ。

 速水はヘッドギアから紫電を瞬かせ、その手にマナをかき集め始める。

「悪いが、向こうを黙らせるのに時間がかかる──というかしばらく魔法が撃てん。耐えてくれると助かる」

「はあー、人の苦労も知らんで少年お前なー!」

「黙って」

 辛辣にそう言い捨てるホタルは、見据えた先、本居のいる地点に炎を生じさせる。

 直後、ごう、と渦巻いた黒いマナがその直撃を防ぐ。

 効いていないと見て眉を顰めるホタルの横を、するりと速水が駆け抜ける。走りながら手に集められたマナは、不定形の水の刃を形成する。

 ぐん、と振るわれたそれを、本居はまたもマナの膜で遮る。

「浅いな、やっぱり……」

 呟いて即座に後ろへと跳び退くと、速水の足を掠めるように雷撃が叩きつけられる。

 地面を走るようにそのまま駆けた雷へ、水島が干渉をかけて自分へと誘導する。

「いつまで耐えさせるんやこれ!」

「その一回耐えれば十分だよ」

 再び魔法で作った壁で雷撃を防ぐ水島が叫べば、速水は淡々と返す。その手には無形の黒いマナが蟠っていた。

「サイレントサイレン」

 そう呟くと同時に弾丸と化した無形が本居を襲う。

 障壁の展開は直撃の寸前。それでも衝撃を殺し切れずにたたらを踏んだ本居が、顔を上げたときに見えたのは拳銃のように構えた指先を自身へと向ける速水だった。先とは比べ物にならない速度でそこにマナが集積していく。

 射線から逃れようとしたのか、身をよじる本居へ、

「ダイヤモンドダスト」

 ホタルの詠唱が届いた。

 逃れるための足元が、白く凍てつく。

 そして、

「カオスオブアンビバレンス──そら、お望みどおりに壊れてくれよ」

 空間を切り裂いて飛んだ漆黒の魔弾が、本居の持つマイクに突き刺さると同時に炸裂した。

 手元から弾き飛ばされた発動体が黒煙を上げて砕けると同時、本居もその場に崩れ落ちる。

 その場にいた各々が安堵に肩を下ろせば、慌てた足音が耳に届く。見ればカース特対の腕章を巻いた学生が駆けてくるところだった。

 とりあえずこの場の収集はつきそうか、と独りごちた速水はこう続ける。

「……ポラリスはどこだ?」

 

 

13.騙り手が語るに

 

 機械の少年はなおも駆ける。

 脳内にはある言葉がずっとリフレインしている。

 

『全然大丈夫だよ? 君が学園に危害を及ぼしたりするとかそういうことがなければ』

 

 それは、自分で裏切った信頼を示すそれだと誰よりも彼が分かっている。

「ボクは……ボクは……っ」

 呼び止める声に気付いた。

 知らない生徒だった。彼のファンだと笑顔で語った。

 握手を求めてくる生徒が、サインを求めてくる生徒が、いた。

 いずれもポラリスという存在を好いてくれる人達だった。

「あの……ボクは……!」

 促されるままにその手を握ってしまったのは、そんな好意も善意も無下にできなかったからか。

 あるいは誰かに助けを求めたかったのか。

 いずれも叶いはしない。

 真っ黒い霧の噴出がある。先程見たばかりの、見慣れたくもないカースの霧。

 気付けば、笑顔で語らっていた生徒達はポラリスを冷たい目で睨んでいた。

「そんな……ボクは……っ!」

 何を言いたかったのか、知る余地もない。

 ゆらりと群衆が動き始める。

 

 

 逃げていた。

 逃げていたはずだった。

 何から逃げたかったのかすら曖昧になってしまった。

 いくら走ろうとも、ポラリスの身体に人間らしい拍動はない。お前はヒトではないと殊更に突き付けるような異物感が、さらに彼を苛んでいく。

 学内はもう滅茶苦茶だ。あちこちで彼の放つカースに感染した学生が破壊活動に興じている。

 居場所はない。逃げ場所はない。

 分かっていながら、ポラリスは走っている。

 その足が止まったのは、眼前に立ち塞がる一人の男に気付いたからだった。

「……やっと見つけたよ、ポラリス」

「あ……貴方、は……」

 怯えたように、じりと一歩下がる彼へと、男は──再現坂響也は、感情の読めない笑いを浮かべて詰め寄る。

「ダメじゃないか。クリーチャーであるお前が、人に愛されたいなんて思っちゃあさ」

 そう言って、ポラリスの首を掴む。

 ──聞き慣れた声がポラリスに聞こえたのはその時だった。

 

 

「はえ、あれポラリス、ヤバいんとちゃうか!?」

 カース感染した生徒の振り撒く破壊を掻い潜り、やっとのことでポラリスに追いついた水島が目にしたのは、見知らぬ男が自分の同僚にして弟分の首を掴んでいるところだった。

「貴方は……わざわざここまで、ご自分から出向いて来られたのですか?」

「知り合いか、あれ?」

 遅れて追い付いたホタルが再現坂へ問うのを聞いて速水も尋ねる。

「ええ、情報提供者……といったところかしら」

「どえ!?」

「えらく物騒な情報屋もいたもんだな」

「情報屋……まあ、少し事情があってね。未解決の案件にようやく進展の目が見えた……というところ」

 最低限の情報共有が為されている間も、再現坂にはそんなことを意に介する様子もない。

 ぐい、と無理矢理に自分の方へと顔を向けさせたポラリスへ──その右眼へと手を伸ばす。

「お前は、これで隠しているつもりなんだな」

「うぐああぁぁぁぁぁっ!!」

 そのままポラリスの眼球を掴み取った手が、その目を引っ張る。

 瞳は、ぶちぶちという回線の千切れる音と一緒に、再現坂の手へと収まる。

「目玉抉りとっとるぞあいつ!」

「──気分のいい光景じゃないな。何してんだアンタ」

 再現坂へと速水は言う。

 言った、のだが。

「……ようやく取り戻せたよ、ペルセウスの涙」

 愛しい誰かにするように、手に入れた眼球へと頬ずりをする再現坂に、それを聞いている様子はない。

「……聞けよ」

 若干の怒気を纏わせて一歩前へ進む速水も、再現坂は気にかけない。

 歪な笑顔を協力者であった少女へ向け、

「いやぁ、君に頼んでよかったよ。まさか、こんなにすぐ見つかるなんて思っていなかったからね。ありがとう、ホタルちゃん」

 それは嬉も楽も表しはしない。ただ、かつての感情の残滓で描かれた、まるで罅割れのような不気味な笑顔だった。

「ああ、そうだ。君はこれを使って奏音を助けようとしていたけれど、残念ながらそれは無理だ。これは、奏音を殺すためのものだからね。こいつと、奏音を、最大限に苦しませながら」

 あはは、と聞こえた音を、笑い声だと判別するのにさえ時間を要した。そこには、嘲りしか含まれていない。悪意を煮詰めた、ヒトの悪性を体現するが如き哄笑。

 その目は、ホタルを、水島を、速水を、憐れむように睥睨している。

「……カノンを殺す……ああ、つまり。カース感染を治療できるというのも、最初から嘘だったと?」

「もちろんだ。重度のカース感染がそんな簡単に治療なんてできるわけないだろう? 馬鹿馬鹿しい。まぁ君達になんて、どうせ理解できるわけないか」

 相も変わらず嘲りを隠すこともせず、なおも苦しそうに声を上げるポラリスを煩わしげに見やる。

 そこに、やはり一切の情はなく。

「──カノンとやらはともかく、その子に執着するのはどうしたわけだ」

 黙ったままであった速水が静かに尋ねる。

 途端、再現坂は一層その不気味な笑みを深め、

「ああ、これは道具だよ。とても、とてもとても便利な、ね」

 その『道具』を見せつけるべく、首を掴んだままでぐいと自分の前に押しやる。漏れる苦悶の声など、聞こえてはいない。

「──道具、ねぇ……」

 ふと感情の色が消えた、金髪の青年の声も、同じく。

「ふふ……うふふふふ……そう、そういうこと。そういうことなのね」

 そして笑いがある。

 少女が一人漏らす、笑いというにはあまりに昏いそれが。

「そう……だったら、貴方も排除するまで。カノンを救う手立てを持っていないのなら、貴方に用はないわ」

 爛々と輝く瞳で再現坂を見つめるホタルへ、彼はどうでもよさそうに、

「奇遇だね、僕ももう君たちには用事はない。だから、このまま失礼させてもらうよ」

 そう言う再現坂とポラリスの足元に、魔法陣が浮かび上がる。

 逃走の構えをとった再現坂へ、

「こっちにはまだ用があるんだが──!」

 駆け出して一気に近付こうとしたのは速水。

 だが、

「来るなっ!!」

 ポラリスの叫びに、その足が止まった。

「それ以上近付いたら、君達もボクのカースに感染してしまう……!」

 少年の顔に浮かんでいるのは、恐怖。

 自分のカースに感染した人間が、どうなったかを知るが故の、怯懦。

 がらんどうになった右目から流れる涙さえ幻視した。

 そこに何も声をかけられない速水の後ろから、代わりと言わんばかりの質問が一つ。

「……それでええんか?」

 水島光は、じっと小さな同僚を見つめている。

「………」

 ポラリスは、答えられない。

「……答えられへんのやったらええわ。とりあえずここはポラリス、お前の言うこと聞いたる。でも──この後は聞かへんからな。覚悟しとけよ」

 水島はそう言うと、邪魔はしないとばかりに一歩下がってみせる。

 再現坂はそのやり取りににやりと笑い、

「……時間稼ぎご苦労」

 そんな言葉を残し、ポラリスと共に魔法陣の上から消えた。残るものは、何もない。

「……ふん、時間稼ぎね。俺らのことも道具みたいに扱ってくれちゃって……腹立つわ」

「──ありゃそういう人種なんだろうさ」

「再現坂響也……カノンの……だとしても、カノンを害するというのなら……」

 三者三様の反応を見せながら、彼らは踵を返して学園へと戻っていく。

「──さて、山程やるべきことが増えたな」

 一歩ごとに、やはり三者三様の決意を深めながら。

 

 

14.Happy Birthday !!

 

 一人の男をきっかけに、学園から一人の少年が去ったその次の日。

 空き教室に男女の声が響いている。

「カース事件についてやけどな、本居センセや他の生徒にあんな破壊衝動があったとは考えづらいっちゅう話や。感染したカースが滅茶苦茶小さい欲望を一気に拡大させる、とかいうえらく危ないモンやないんかってなっててな……そんで、そのカースがそこの芥屋の友達、再現坂奏音、やったか? その子の感染しとるカースと一致したらしい」

「ええ。それで、私は再現坂響也の情報を当たってみた……あの男、機械魔導学科の卒業生ね。優秀だったらしいけど、魔導機械で魔界への扉を開いて悪魔を召喚する方法を実証しようとして、学会を追放されたらしいわ。奥さんと二人の子供──一人はカノンね、その三人にも愛想を尽かされて逃げられている。これ以上は何も分からなかったけど……」

「物騒な研究しとんな」

「彼が探していたペルセウスの涙も、ね。古い文献にしかなかったけど、カース感染を治すどころかその逆、無限にカースを溜め込む石って話よ。満月の夜に月光を浴びせることでそのカースが放出されるって」

「──ああ、最大限に苦しませて殺すとか言ってたのは」

「この石を利用するつもりと見て間違いないわね」

 速水、水島、ホタル。動機は別であれど、三人の中で目的は一致している。

再現坂響也を、止める。

そのための情報共有の時間が今だった。敵の目的を知らないことには、そもそもどう動くべきかさえまとまらない。

各々に心当たりのある手掛かりに当たっていき、擦り合わせて推測する。

水島とホタルがそれぞれで分かったことを報告し、そして残った速水へと目をやる。

相変わらずヘッドギアで表情の読めない少年は、静かに言う。

「オレはあいつ──ポラリスについて当たってみた。みたんだが」

「が?」

「何も出てこなかった。まあ、そもそもがついこの間入学してきたんだから当然か」

「おい」

 流石に詰め寄ろうとする水島を、速水は片手を上げて制止する。

「──だから、自分の持っている手がかりを洗った」

「自分の……?」

「これだ」

 ひょいとテーブルに放り出されたのは、星型の歯車。

 水島とホタルは知らないが、かの少年を速水が治した際に余った歯車だ。

「歯車状ではあるが、そいつは記録媒体だ。持ち主が誰だったかっていうのを考えれば、あいつの記録ってことで間違いないだろう」

「それじゃあ……」

「映像形式で再生できるようにした。馬鹿みたいにロックが固くて苦労したが……さて、ホラー映画鑑賞といこうか」

 言いつつ、自らの持つパソコンと歯車──記録装置をコードで繋ぐ。

 水島とホタルの見ている前で、記録の再生が始まり──

 

 

「……ここは?」

 目を覚ます。

 薄暗い研究室だ。大量の機材、嫌な臭い、視覚も嗅覚も正常に作動し、触覚が自分が床に座り込んだ状態であると知らせる。

「ようやく完成した。コードネーム:ポラリス」

「はい」

 そして聴覚が自らの名を呼ぶ男の声を捉える。

 それが自身の名だと。

 それが自身の父だと。

 記録領域に初めからインプットされた情報が、演算の必要もなくその事実を伝える。

「さぁ、立て。ポラリス」

 再現坂響也はもう一度その名を呼ぶ。ポラリスは命令に従って立ち上がる。

 高さを増した視界には、もっと嫌悪を催す光景が映った。

 長机の上、大量の機械に繋がれた少年。白目を剥いたその顔に、生気はない。

 何より悍ましいのは、その顔が自分と全く同じ顔であることだった。

 そして再現坂は、まるでガラクタのようにそれを退かし、

「お前が今日から、僕の新しい息子だ」

『息子』と呼びながら、やはり道具にするような乱雑さで持ち上げたポラリスを同じ机へと載せる。

 先程とは別な機材をポラリスに繋ぎながら、

「いい顔をしてくれよ。そうでなきゃ、楽しくない」

 ぶつぶつと呟く再現坂が、その機材のスイッチを入れる。

 激痛があった。

 痛覚を司る器官に、機関に、『痛い』という信号をだくだくと流し込まれる。そんな苦悶。

 耐えきれずに絶叫するポラリスに、再現坂はなおもぶつぶつと、

「お前だけはさぁ、僕のことを慕ってくれてた、尊敬してくれてたって思ってたんだけどなぁ、『流星』」

 知っている名前だった。インプットされている情報だった。

 再現坂流星。眼前の男の息子であり、自身のオリジナル。

 そして先程まで、机の上に転がっていた死体の名前。

 

 拷問そのものの日々が続く。

 オリジナルの名を呼びながら、再現坂はポラリスへと痛みを与え続ける。

 それは復讐だった。自らを置いて行った息子へ、きっとその先には娘の姿もある。外道そのものの行いの水先案内人は、再現坂を包む邪悪なマナか。その復讐心は破壊衝動として、カースによって延々と増幅され続ける。

 全く同じ痛みを与え続けた彼の息子は、再現坂流星は死んでしまった。だから代わりを求めた。いくつも人形を造って壊した。意思なきガラクタを壊したところで、再現坂の衝動は収まらなかった。

 だから、意思を持った人形を造り上げた。

 自らを生み出した歪んだ動機を、苦痛の日々の中でポラリスはゆっくりと理解していった。

 自分の意思が──仮初の命が、体内に宿したクリーチャーの心臓、そこから供給されるカースによるものだとも。

 ヒトを模して造られた自分には、その真似事さえ許されないほどに命のカタチを違えていることを。

 

 転機は、唐突にいつもと違うことを口にした再現坂だった。

「これを見ろ」

 幼子の無邪気さすら覗かすその手には、綺麗な水色の水晶。

 荒い息を吐くポラリスにその正体は分からなかったけど、

「これはな、ペルセウスの涙って魔法石さ。ようやく手に入れたんだよ」

「な……何を……するつもり、なんだ………」

「安心しろ、これをお前に使う気は今のところない。これは、奏音に使うんだ」

 寒気がした。

 自分ではない自分の記憶に、優しい姉の姿がある。

 それが、自らが受けた苦痛に、目の前の男の狂気に、浸る未来が、見えた。

「──本当にいい顔するなぁ、お前は」

 からりと。

 男は笑う──嗤う。

 

 ──何かが、切れた、気がした。

 

 純粋な圧として、カースの嵐が部屋に吹き荒れた。

 圧倒的なマナの奔流に耐えかねたポラリスの腕を、眼を、そして彼を縛る鎖を、部屋を破壊し──

 

 気付けば海にいた。

 小舟の中で、数多の歯車に囲まれ、機械の少年は漂っていた。

 星を、月を、見上げて知らず手を伸ばし──

 

 

「──これをホラー映画だなんていう貴方の趣味を疑うわ」

 映像記録を見終わってのホタルの開口一番がそれだった。

「まぁなんて言うか、うん、俺の元両親みたいやな」

 水島は背景に闇を覗かせた。

「はあ? ホラーだろ。ここまで人間の悪性が滲み出ているのがホラーでなくてなんだ」

 とりあえずホタルにはそう言い返して、速水は携帯を取り出す。

「そしてこの映像込みでいくと、このメールがもううさん臭さの塊なわけだが」

 画面に映し出されているのは一通のメール。

 この日の朝、徹夜で歯車のロックを解除した速水のみならず、全ての学生の元に届いたメールだった。

 差出人は『ポラリス』、満月の今日の夜に、講堂にてソロライブを行うという内容だった。

 楽しいイベントの知らせにしか見えないそれを前に、水島もホタルもため息を吐く。

「最悪っすねー。なーんか嫌な予感しかせぇへんわ」

「……そうね。間違いなく罠でしょうね」

 既に学園はこの話題一色に染まっている。つい昨日のカース事件の原因がまだ判明していないのもあってか、ポラリスの名に警戒する生徒はいない。むしろお祭り騒ぎで不安を吹き飛ばそうという向きすらある。

「これどうすんねや、『保護者』さん」

「……罠だとしても行かない理由はないわね。仮に罠であったなら、再現坂響也もそこにいるでしょうし」

「……ごもっとも。ほら、学長命令破ったら一大事だからな。『子守り』はまっとうしなきゃあ」

「せやろな。じゃあ子守りの手助けでもしたるか……」

 不気味な雰囲気だけを漂わせる黒幕の元へ、それぞれが立ち向かう意思を固める中、ふとホタルが机に置かれたままの歯車を見やる。

「……ところで、これ光ってるみたいだけど」

 言う通り、星型の歯車が電子的な青い光を発していた。その場の誰もが、直感的にポラリスの身に何かあったことを察した。

「──新情報が一助になればって感じかねえ、これは」

 速水が新たな記録の再生準備に取り掛かる。

 今度は、そう時間はかからなかった。

 

 

「──なぁポラリス。俺は、最初は、またお前に痛みを与えるつもりでお前を探していた」

 ポラリスの目の前に再現坂響也が座っている。

 ポラリスの身体は魔法で束縛されており、逃げることは適わない。

 身動き一つできない彼を前に、再現坂はこれ以上はないというぐらいに愉快そうに語る。

「だが、それより面白いことを思いついたんだよ……お前がアイドルをやっているってのを聞いてな。どうせ人に愛されたいと思ってやったんだろう? ヒトモドキの癖に」

 ゆっくりと立ち上がる男の顔に静かな熱がある。

 無論、とても好意的なものではない。どうしようもない、もう元に戻ることもない、狂気に浸された喜色。正しい、ヒトデナシ。

「だから、お前を愛してくれる素敵な人たちに、お前を壊してもらうことにする」

 楽しそうに、愉しそうに。

 手を広げ、演説でもするかのように。

 それは病熱。恋にも愛にも負けず劣らずの埒外の熱量だ。

「あと一時間だ。一時間で、満月が昇る。そのとき、このペルセウスの涙の力を開放して、『カオス・インフェクション』を発動させる。この世界の全ての人間の無意識に、『ポラリスを愛せ』『愛するポラリスを殺せ』と命令するんだ」

 禁忌の大魔法を用いた悍ましい計画を、その被害者に語る。

 愉快だと笑って、嗤って、ワライながら。

 いつかの焼き増しを、いつかよりもっと狂気的に。

「今日の夜、お前を、愛してやって来る学生たちにお前は殺されるんだよ。なぁ、楽しそうだろう?」

 

 

 映像を見終えて速水は呻く。

「『カオス・インフェクション』と来たか。世界規模のカース感染とはまた……」

「……できる、でしょうね。アスタロト先生の授業でやった通りなら」

 何しろ集合的無意識を介しての感染だ。逃れる術はない。そして再現坂の手元には無尽蔵のカースを宿すというペルセウスの涙がある。

「なーるほど、このまま行っても気味悪いカースに感染するだけか……せやったら先にやることがあるな」

「? 何か案があるのか」

 速水と、声にこそ出さないものの不思議そうな様子のホタルに見られ、水島はにやりと笑う。

「カース感染を防ぐ方法の一つや。それこそ、アスタロト先生の授業であったやろ?」

 

 

15.呪いの加護

 

 突然に研究室を訪れた学生三人を、アスタロトは驚きながらではあったものの迎え入れた。

「どうした、学生達よ」

「ちょっとしたお願いをしに来ただけですよ、先生──オレらにカースを感染させてくれないかってお願いです」

 正気を疑うような速水の言にも、アスタロトは微かに眉を動かしただけにとどめた。

「……理由を聞こうか」

「そうだな、ポラリス──ウチの居候が今どうなっているかってとこからかな」

 必要最低限、何が起きたか、何をしたいのか、それを伝えられてからもアスタロトはしばらく無言だった。

 だが、やがてその口角を緩めてふっ、と笑う。

「面白い、実に面白いぞ、学生達よ」

 一転して真剣な表情になった彼は、三人を見渡す。

 顔に見合った重い口調で、

「だが、わかっているのか? カースの危険度は、私の講義でもよく聞いているはずだ。それに、私のカースの感染速度は速いぞ。感染してから六時間もすれば、お前たちは廃人だ」

 それは覚悟を問うための一言だった。

「それでも、やるのか?」

 答えはすぐに返ってきた。

「そうでもしなければ、彼の思惑通りに事が進むだけですから」

「変なカースにかかるよりかはマシですわ」

「それを待たずとも一時間すれば学園の生徒全員が感染者ですよ。まだ六時間で止めにいった方がいい」

 義務、感情、合理、それぞれがそれぞれの理由で、しかし相応の理由を示す。

 それを見たアスタロトは、

「ならいいだろう。私はお前たちを信じよう」

「そりゃどうも」

「それに……安心しろ」

 ぶわり、と黒く冷たいマナがアスタロトから噴き出す。

 三人の元へゆっくりと近付いていくカースを見ながら、クリーチャーにして教師である魔法使いは言う。

「……私の、アスタロトのカースが暴走させるのは──誰かを守りたいという欲求、庇護欲だ」

 カースに包まれながら、三人の学生は黙って聞く。

「六時間だ。六時間以内に決着をつけてこい。そうすれば、そのカースの感染から私がお前たちを解き放つ。……それから、私とドロシーは残念だがお前たちの手助けはできない。この緊急事態にハーベストを狙う輩から、この学園を守るという使命がある。だから、この事件を止められるのはお前たちしかいない。頼んだぞ」

 霧が晴れる。

 魔法使い見習いの三人は、ともすれば傲然と応じた。

「……それが最善の手であるならば」

「了解っす!!」

「──謀らずも、庇護に保護、ね。いいでしょう、きちんとケリを着けてきます」

 毒を以て毒を。

 呪いを以て呪いを。

 月が昇るまで、あと数刻。

 

 

 講堂に向かうまでの準備時間だった。

 水島の携帯に着信が一つ。

「なんやねんこのクソ忙しい時に!!」

 悪態を吐き、誰からなのかも見ないで携帯を取り出す。

「もしもしぃ!? 誰や!?」

『もしもし、光くん。アスタロトに聞いたよ? カースにかかるなんて、ずいぶん無茶なことするんだね』

「おあ!? ドロシーかい!! ──まぁ、うん……頭のおかしいカースにかかるより、アスタロト先生のにかかった方がマシや思て」

『なるほど。私も心配だから、ほんとはそっちに行きたいんだよー。でも、どうしても行けない用事があるから……だから、君たちを信じて待ってるね。絶対に、負けないで』

 珍しく、というべきか、心から心配しているのだろう声色に、水島はその心配を断ち切るように答えた。

「おうまかしとけ!! ヘルメットの少年……速水がうまいことやってくれる。だから、ドロシーもドロシーのやることしっかりせぇよ」

 当人がここにいれば抗議したであろう、無条件の信頼を放りつつ、水島はドロシーも激励する。

 通話口からくすりという笑い声がした。

『ありがとう、それじゃあね』

 それを最後に電話は切れる。

 水島はポケットへそれを仕舞い、

「行くか!」

 彼の戦いの場へと歩を進める。

 

 

 電話を切った少女の前には、鏡映しのようにそっくりな少女が一人。

 紫色の髪にとんがり帽子、黒いローブの少女──トト・フロム・オズは確実な足取りでドロシーへと歩いてくる。

「やっぱり来たんだ」

「当然でしょ。カオス・インフェクションでほとんどの人間が使い物にならない今なら、ハーベストを簡単に壊してしまえる」

「言ってくれるねー。私がいるのに?」

「貴方を倒して通るだけ」

「ここから先へは行かせないよ?」

 それ以上の言葉はない。

 相容れることのない、二人の少女の魔法が中空に弾けた。

 

 

「何をしに来た」

 学生を研究室から送り出した後。

 アスタロトはハーベストの裏門にて、そんな詰問を投げる。

 厳しく眇められた双眸は、それ以上に目つきの悪い一人の男を見据えていた。

「もちろん、ここを奪いに来たんだよ」

「……ここは神聖な学び舎だ。お前のような悪魔が来るところではない」

「言ってくれるね。俺達を裏切った小悪魔ちゃんが」

「……ここから先は通さん」

 どこかの少女達と同じく、ここにも道を違えた二人。

 悪魔達は、それぞれが違えた互いを誅するべく、その牙を剥く。

 

 

 満月の照らす、夜空の下。

 男は一人、手にした宝石を空へとかざす。

 降り注ぐ月光を浴びると同時、石から溢れた真っ黒なマナを喜悦の表情で受け容れつつ、

「ああ……満たされる、満たされていく……これがカースの力か……!」

 そして空高く、その手を掲げた。

「『カオス・インフェクション(拡大する絶望)』……!」

 その宣告も、高々と。

「全世界よ、ポラリスを否定しろ!!」

 そして、世界が変わる。

 

 

16.Live

 

 大講堂はひどい有様だった。

 舞台の周りで暴れる無数の学生は、秩序なく破壊を振り撒く。マナプロテクトが無ければ死者が出ていただろうという状況だ。

 彼らの持つカースとは別なそれを加護として纏い、速水達三人はその中をすり抜けている。

「ステルスの魔法も長くは保たないわ。早く再現坂を探さないと……」

「──あそこだ」

 速水が指差したのは舞台袖。再現坂が暴れる群衆を見下ろす傍に、悲痛な顔のポラリスの姿があった。

 一気に舞台へ駆け上ってくる三人へ、再現坂はにやにやとした顔を向ける。

「……やあ、君達もポラリスを壊しに来てくれたのかい?」

 自らの行った大魔法の効力を確信しているが故の問いかけだった。

 だからこそ、彼らの返答には心底からの驚愕に表情を歪めた。

「ああ、はいはい、壊したいわー心からあいつを殺したいわー。ほら、満足かこれで」

「おいテメェ! ポラリス離せや!! これやから親なんて……!!」

「……ポラリス? ああ、ソレのことね。そんなモノに興味はないわ。私が壊しに来たのはね、再現坂響也、貴方の方」

 答えはばらばらでも、全てがカースの影響を受けていないのが明らかなもの。

 呆然と、呟く。

「何故だ……どうして、『カオス・インフェクション』を受けていない……?」

「六時間の期間限界防御だけどな。アンタのふざけたカースよりマシだよ」

「おっさんのカースには死んでもかかりとぉあらへんからな!」

「まあ、そういうこと。簡単な問題でしょう」

 そして続く言葉に、彼らが何を以て自身の大魔法を防いだかを悟ったらしい。

 呆れ果てたと言わんばかりのため息と共に、

「……君達は、とんだ大馬鹿なのか。こんな機械を守るために、自分がカースに感染するなんて──本当は、君たちにポラリスを壊してもらうのが楽しそうだったが……君たちを先に壊してやるよ」

 ゆるりと彼が手を動かすと、再現坂の隣に転送用の魔法陣が現れる。

 何事かと身構える三人の前で、魔法陣から姿を現したのは一人の少女だった。

 ──ホタルにとっては、何度も見た少女の姿だ。

「これは、コードネーム:アウストラリス。僕のもう一つの作品だ。奏音の今の姿を見ることができたからね。せっかくだから作ってみた。ただ、時間がなくて、クリーチャーの心臓を組み込めなかった。一応少し遊んではみたけど、やっぱり意志がないとつまらない。苦痛に歪む表情が見えないからね」

「──すげえな」

 呆れたような声は速水も同じ。

 皮肉をさらに毒で塗り固めて吐き捨てる。

「ここまで振り切っているといっそせいせいする。逆恨みと悪意のごった煮じゃねえか」

「まぁでも、これを壊さないと僕を止められないって意味では、君も大変だね、ホタル」

 そう言って再現坂の見やったホタルは。

 速水の後ろにいたホタルは。

「……おい?」

 何かあったのかと、そう尋ねようとした速水の目の前で、ずっと俯いていたホタルは。

「アウストラリス……いえ、カノン……傷だらけの姿で……機械に繋がれて……だけど………」

 息荒く、そして声高に、

「その感情の無い瞳! 路傍の石を見下ろすかのような無機質な視線!! ああ、貴女のそんな表情、私初めて見たわ!! ええ、そうなのよ! たとえどんな姿であっても、やっぱりカノンは可愛いわ! だから私は貴女を護るの! 貴女を愛するの!! そう……そうよ。だからカノン、私が貴女を護ってあげるわ。貴方を壊してでも!!!!」

 叫んだ。

 いつもの淑女然とした振る舞いはどこへやらだった。化けの皮が第三宇宙速度で宙の彼方へと吹き飛んでいた。

 目にハートすら見える様相で、頬を恋する乙女の如く赤らめるホタルを前に、水島がもう一人の味方の方を見る。

「……………速水、アイツやばいぞ」

 頼れる味方は一歩ずつホタルから距離を取ろうとしているところだった。

「速水待て俺を置いていくな」

「味方と思っていた奴に無効と別ベクトルのヤバさがいたとは」

「それな」

 こそこそと話し合ういたいけな青年達を尻目に、再現坂は一人愉快そうに笑った。

「おや、存外乗り気なようだね。さぁ、せっかくだ。楽しもうよ。楽しんで壊し合おう!!」

 直後、アウストラリスが、再現坂奏音を模した人形が、眼を赤く瞬かせ、背に浮かべた翼のような噴射を推進力に突っ込んでくる。

 ごう、と嵐に等しい風の弾丸が舞った。舞台を抉り、一直線に速水達へと向かう。

「っ、『ヴァイス・ヴァーサ(逆説的真理)』!」

 幻想の翼を宿しての強力な一撃に、水島が即座に大魔法を切った。輝く光の鱗粉が壁を為し、吹き荒れる暴風をいなす。

 その中で、ホタルは自身の邪眼を輝かせて呟く。

「さあ、壊(アイ)しあいましょうカノン……!」

 そして嵐の余波をものともせずに駆け出した。

「あ、こら、勝手に動くなや!」

 ゴーイングマイウェイが過ぎる仲間へ苦言を呈し、水島は彼女へと障壁を一つ張る。

「助かる」

 遅れて駆け抜けていく速水にも、舌打ちをくれながらではあるが同じく。

 ホタルの放つ炎の弾丸を援護に、速水は水の刃でアウストラリスと斬り結ぶ。

 乱戦の様相を呈してきた舞台で、再現坂はなおも語り続ける。

「いいか。君たちは勘違いをしている──こいつは機械なんだ。いくら痛めつけても、誰も困らないし、犯罪にだってなりやしない。ただのストレス解消なんだよ。理想的じゃないか」

 物分かりの悪い子供にするような説教そのもの。言いながら、その手から放たれた、カースに彩られた魔法がアウストラリスと戦う二人へ襲いかかる。

 光の壁で以てそれを防ぎ、即座に水島が言い返す。

「やり返される覚悟はできてるんけ? まさかいつまでもの親の方が立場上やって思っとるんか?」

「親も何も、僕はそれの創造主だよ?」

「創造主やからなんや? 創造主やったらなにしてもええんか? 感情を持たせた『そいつの感情』は無視か? ──ああ、気にせえへんのやったな、ごめんごめん!」

 嘲笑を多分に含んだ、敵意を剥き出しにした水島の挑発も意に介してはいない。

 淡々と、誰にでも分かる事実だと、そんな口調で、

「作られたものは作った者に責任がある、当たり前の話だろう?」

 それが、最大の劇薬だと知る由もない。

「……俺は『生み出した』って立場を利用して、逆らえない存在やと思いこませて、一方的に暴力ふるってるやつが奴らが大嫌いやねん。だから、俺はお前のことも嫌いや。俺は俺や。お前はお前や。そんでもって、ポラリスはポラリスや!! ええか、お前が……お前如きが、ポラリスを操れると思うな!!」

 ず──、と空気が重くなった気がした。

 アウストラリスに、莫大なマナが収束している。

 一瞬、その手に凝集したマナが、一挙に真っ黒な砲撃と化して対峙する速水とホタルを襲う。

 水島は、もはやそれに目をやることすらしなかった。とうに敵性は眼前の男に移行している。

 砲撃はせり上がった分厚い氷の壁に遮られる。

 直後、壁を回り込んで姿を見せた速水とホタルの魔法がアウストラリスに直撃した。機械の骨格が、鈍い音で軋む。

 しかし、ぎしりと躯体が音を立てるとその周囲に無数の火の玉が浮かぶ。

「なんっ……!?」

「っ……サイレントサイレン!」

 一気にマナの収束速度を上げた速水がアウストラリスに黒い弾丸を浴びせるも、その動きは止まらない。

 手をかざしたアウストラリスの前に、小さな黒い球体が、しかし絶大な引力を宿して出現した。

「まず……!」

 水島の防御魔法も間に合わなかった。撃ち出されたブラックホールは辛うじて防いだものの、引力に引きずられて飛来した炎からは庇えない。

 標的は速水。ヘッドギアの青年は、もう回避を捨てていた。

「任せた」

 一言だけ後ろの少女に残して駆ける。真っ向から、炎の雨に突っ込んでいく。

 突出してきた彼にアウストラリスは空いた手を向け、

「ファイアボール」

 その後ろから飛んできた至極単純な魔法に対処し損ねた。的確に顔を狙ったそれが視線をブレさせ、照準を定められない。

 同時、自分から接近した炎を、速水が手でかき分けるようにして派手に炸裂させる。上がった爆炎がアウストラリスの視界を完全に塞ぎ、ホタルの次手を隠したところで、

「カタクリズム……カノン、貴女をこれ以上苦しませはしないわ。だから……今は少しだけ、大人しくしていてちょうだい」

 本命があった。

 速水を襲った炎を掻き消す勢いで、途方もない量の水が溢れ、球体となってアウストラリスを包む。

 透明な檻の中、アウストラリスはなおも身動きを取ろうとしていたようだったが、やがて完全に停止する。

 そのすぐ横を駆け抜けた速水が、檻から拝借した水で以て刃を形成。一挙に詰め寄った再現坂へと斬りつける。

 後ろへ跳び退いた再現坂がその手にマナをかき集め、彼を包囲する三人へ向ける。同時に全員の動きが止まり、膠着状態が生まれた。

 そんな間隙に、再現坂は荒々しく、

「言ったはずだ、ただの機械だと──痛めつけたところで誰も困りはしないと!」

「……機械、ね」

「そうさ。人間っていうのは誰だって、闘争欲求、破壊欲求、加虐欲求を持ってるんだよ! 壊したいもん自分で作って、それを壊して何が悪い!!」

 ばっ、と指し示すのは舞台の周囲で暴れる群衆だ。これこそが持論を補強するとばかりに、男は感情のままに叫ぶ。

「それにお前らも分かっているんだろう? 特にお前は!」

 次いで指差すのはホタル。娘の友人へとその悪意を叩きつける。

 源は後ろでびくりと震えるポラリスだ。

「こいつは、奏音を感染させたクリーチャーの心臓で動かしてるんだぞ? こいつを壊せば、お前の親友は助かる。壊さなきゃ、奏音は助からないんだぞ?」

「……ああ、そういうこと。だから今の今までカノンのカースが消えなかったのね。まあでも、いま使い物にならないソレなんて、後でどうとでもなるでしょう?心臓を引き抜いて潰すくらい、簡単な事じゃない」

「冗談に聞こえねえんだよなあ……」

 速水と水島の救出対象であるポラリスを歯牙にもかけない物言い。元よりホタルには奏音以外を気にかける理由がないといえばそれまでなのだが。

 ぎり、と歯を食いしばる音を立てながら再現坂は残る二人に目をやる。

「お前らもだ。わかっているのか? こいつは、もうクリーチャーと同じ、ただの害をなす存在にすぎない。だからそれを壊して、人間の平和を取り戻せばいいだけの話じゃないか。それこそ正義っていうものだだろう?」

「じゃあポラリスが逃げ出さんように、誰からも愛されへんようにしといたらよかったのに! 計画をミスったお前の落ち度じゃ! ポラリスを壊したかったら誰の目にも晒さんようにすればよかったんや、お前のミスを俺らに押し付けんな!! 正義? そんなんあってないようなもんやろ。綺麗ごと話してんとちゃうぞ!!」

「創造主ならなおさら被造物に責任なり愛なりを持てよ。さっきからお前が言っている機械と人間の線引きはどこだ? 構成物質か? 正義とやらについてもお聞かせ願いたいね。手前でばら撒いた不始末を押し付けられて正義とはなんだ?」

 同時に突き付けられた青年達の否に、再現坂は口元を歪める。

 最後に、もう一度ヘッドギアで表情の窺えない青年を見た。

 発動体でもあるその機械は、無茶な突出のダメージで怪しく表示を点滅させている。限界が近いのは明らかだった。

 正しく満身創痍である彼へ、後ろで震える『道具』の主であったという彼へ、再現坂響也は繰り返す。

「君だって、創造者であるなら分かるだろう? 造られたものは造った者に責任がある──害を為すなら壊すという責任も」

「……お前の言う『責任』は自分勝手の免罪符でしかない。メッキかけまくってとうにボロボロの、な。その口でそれらしく創造主の倫理を語るんじゃねえよ。反吐が出る」

 それでも青年はきっぱりと否定を返す。

 お前とは違うと、顔も知らなかった先輩に無理解を突き付ける。

「ああ、端的に言って──学園を守るとか学長の命令がどうとか以前に、オレはお前が気に喰わない。だから、その嫌悪でお前を壊すよ。この機械もどきの身体でな」

「──やってみるがいいさ……!」

 決裂と同時。

 再現坂響也の手から害意の化身たるマナが迸った。

 黒い雷にも似たそれは、二手に分かれて回避を試みた速水とホタルを追って分裂する。

 が、それは水島が生じさせた氷の壁に阻まれる。

 さらに、

「ハーベストムーン──壊し合いもここまでだな!」

 月光の下、その名を冠する、絶望を破るための願いが込められた魔法を、速水が発動させる。その手には再現坂にも劣らない量の、だが絶対に非なるマナが収束していく。

 しかし、

「並列演算、コード始動……っ! イカレやがったかよこのタイミングで」

 彼のヘッドギアから火花が散る。周囲にホログラムのように浮き出し、整然と並んでいた文字列がノイズに塗れた。

 収束していたマナも霧散しようとして、

「邪眼起動―――芥屋蛍の名の下に命じる。速水都、我らの護るべき者を害する敵に裁きを下し、運命を突き付けなさい―――『フィロソフィア・アイズ(哲人王の眼)』!!」

 ホタルの詠唱と共に、ヘッドギアはまるで再起動を『強いられた』かのように電子的な光を放って機能を取り戻す。

「──! 思想はともかく仕事は完璧だぜアンタ。そらもう一仕事だポンコツ!」

 拡散しようとしていたマナも止まり、それは速水の手元で形を取り出す。

 最も使い慣れた、不定形の刃へと。

「全開駆動が厳しいからな……ただ、この程度で十二分。テメエが負けたのは壊れかけの機械一つだってことを目に焼き付けて──とっとと失せろ」

 懐に潜り込まれ、再現坂にはもう手立てなどない。

 愕然と、自らを裁こうとする剣を見つめる。

 ひどく冷めた声で、速水はまるでついでかのように、再現坂へとその刃を勢いのまま突き立てた。

 それは、多くを巻き込んだ惨劇の中での、ひどくあっさりとした決着。

 衝撃に耐えかねて吹き飛んだ再現坂の手から離れ、宙に舞った彼の携帯が、発動体が、粉々に弾け飛ぶ。

「……ま、本番はここからなんでね」

 誰ともなしに呟いた速水のヘッドギアが、警告音を最後に沈黙した。

 

 

 何故だ、という疑念がある。

 彼を、彼女を苦しめるために、壊すために、年月を費やした。

 一人壊して、代わりの道具を造って、次の一人にも目処は立てた。道具には一度逃げられたが、些末事だった。むしろそれを利用して、もっと楽しいことになるはずだった。

 どこで歯車が狂ったか分からない。計り損ねる。何を間違えた。

 突き動かすのはそんな惑いと、怒り。理性ではなく本能が、目の前のこいつを壊せと叫ぶ。

「……私は……っ……お前を、許さない………!」

 ずるずると、醜く虫のように這って、自身の息子を模した人形へと近づいていく。その足を、掴む。

 魔法一つさえ使えない今、何ができるかなど分からない。それを判断する機能さえ、自分から削られていく。

「……ごめん……父さん………」

 人形は、虚ろな眼窩でこちらを見下ろす。

 やめろ、そんな顔で見るな。その目で見るな。欲しいのは、そんなものではなく。

「でも……このカースは、ボクの意思じゃないんだ……」

 削れる、消える、消えていく。痛い、いたい、傷い、イタイ。

「あぐっ、ぐぎぃっ、ぐわ、あああぁぁっ!」

 聞こえるのが誰の声かさえ分からない。喉の痛みの正体が掴めない。黒く染まった身体は、崩れ落ちていくそれらは、誰のものだ。

 メッキが剥がれるように、ぼろぼろ、ぼろぼろと。

消えていく自分という存在の中に、原初の疑念があった。

 私は、わたしは、ぼくは、

 

 誰に、  認めて 、  ────

 

「……さよなら」

 

 

 カースに侵されていく再現坂響也を、塵となって消えていくその姿を、ヘッドギアの青年は黙って見送っている。学園どころか世界中を使って一つの復讐を為そうとした男が遺したのは、その手から零れ落ちた石ころ一つだった。もうとっくに、そこから大魔法の輝きは失われている。

 自業自得、因果応報、様々な言葉が浮かび、同情など一片も無くとも、じくりと胸に残るものはある。

 去来する感情を整理できずに立ち尽くす彼の後ろに、ふっと誰かが降り立つ気配があった。

「さて、無事なようだな」

「アスタロト先生!! うまいことやりましたよ、速水が!」

「貴方ねぇ……いくら死んでいい人間だったからってその言い方はどうかと思うわ……」

「え? 親とかクソやろ?」

「貴方……」

 にわかに騒がしくなった後ろへ、ゆるりと速水は振り向く。

「……それはもう。元凶はそこで塵になりましたからね」

「それは何よりだ。では君達のカース感染を解除せねば……」

「……都くん……ボク………」

 少年の声が一つ。

 小さな小さな呟きを、それでも自分を呼ぶ声を受けて、速水はカースを解除しようとしたアスタロトへ、

「……先生。オレのカースの解除だけは少し待ってもらっても?」

「ふむ、何故だ?」

「話さないといけない奴がいるのに、そいつのところに近寄ることさえままならないなんて恰好がつかないでしょう」

「……それもそうだな」

「どうも──保護者の責任は果たさないとね」

 振り返る。

 数メートル先に、命を蝕む瘴気を纏った少年が一人。

 問題にはならない。一歩ずつ、そちらへと歩を進める。視界は、暗い。

「生きたい……生きていたいよ……生きてちゃ、ダメなのかな………」

 空洞の右目から、そのヒトガタは黒い液体を零している。人間にはありえない液体を、床に落として染みを一つ、二つと増やしていく。

 独りぼっちの北極星は、震える声で命を請う。

「逆に聞くが、お前が生きてはいけないと思う理由はなんだ」

 歩み寄る青年の声は揺るがない。

 事実だけを確認したいとばかりに淡々と紡がれる。

「だって、ボクは造られた存在で、偽物で、人間ですらなくて、ただの再現坂流星の模造品でしかなくて……この心臓を壊さないと姉さんの……奏音のカース感染が──新しい感染者を産んじゃうかもしれないし……」

 おずおずと自らの生を否定する言葉ばかり並べ連ねる。一つ挙げるごとに、その顔はどんどんと俯いていく。床に染みのできる速度は、加速していく。

 それでも青年は揺るがない。

「被造にも模造にも生きる権利はないと? 笑わせるなよ、人間と機械の線引きをどこに置く。その境界は造られた側が声高に叫ぶべきだ」

 顔を覆って火花を散らすヘッドギアを、鬱陶しそうに操作する。

 圧縮空気の軽い音と一緒に、そのロックが外れた。放り投げられたヘッドギアが、床との間で金属音を奏でる。

「──あ………」

 音に顔を上げたポラリスが、月明かりに照らされる速水の顔を見た。

 上半分を醜い火傷が覆った顔だ。クリーチャーによってかつて刻まれた、消えることのない傷跡。ほぼ失われているという視力故か、歩を進める足取りがふらつく。

 それでも、彼は歩いていく。

「そら、この通り。オレもそこに転がる機械に縋らないとマトモに立つこともできない。ここまで機械とやらに依存しようと、オレは人間であると言い張ろう。お前はそうは言えないと? 勝手にヒトじゃないだのと決めて、生きるのを放棄すると? どうしたいかを聞かせろ、問うているのはお題目じゃないんだ」

 らしくもなく長広舌を垂れる同居人に、それでも躊躇うようにポラリスは俯く。

「……生きたい。生きたいよ。でも……」

「──生きたいと願うならそこには責任が付き纏うんだ。いつだって、誰だって、誰かを害して生きている」

 いつの間にか、彼我の距離はほとんど無くなっている。

 機械の身体の少年と、機械の目に縋る青年は、まるでいつかのような満月の下で、色んなものを欠いて、それでもそれ以上を背負って、向き合っている。

「……ヒトが──お前が担う責任は、その害をどう抑えるかだよ。恐れる前に、どうにかする術を探せ──それくらいなら手伝ってやるから」

 僅かに視線を伏せた一言は、動作から微かな照れが滲む様子は、いつもの速水には見られないものだった。

 今ばかりは、被り物はない。

 そうでなくとも、ここに嘘はない。

「……分かった」

 顔を上げたポラリスの顔は、残された左目に決意の光を宿したもの。

 その名の表す、星にも似た煌めき。

「……なら今撒いているカースをどうにかするところからだな。ぶっちゃけオレがやばい」

 しかし皮肉気に笑う速水を前に、またしゅんと俯いてしまう。

「でも、ボクの力じゃどうしようもなくて……やっぱり心臓を壊すしか」

「ほーん、そうか。ポラリスはカースで動いてるんやったな?」

 待ちかねたと言わんばかりの様子で後方から飛んできたのは、そんな少年の兄貴分の声だった。

 突然の質問に目を白黒させながらも、ポラリスはこくんと頷く。

 我が意を得たり、といった感じのにやりとした笑みで水島は続ける。

「で、そこにカースを生み出す宝石があるじゃろ?」

 ああ、と納得した様子でホタルも頷く。

「……そうね、あの石ころも使い道が無ければ処分するだけなんだけれど……ちょうどそこにあるじゃない、使い道」

「つまりはそういうことや!」

 満面のドヤ顔にため息を吐きはしても、速水もそのアイデアを理解した。英雄の名を冠する魔法石を拾い上げる。

 同じく今から何が行われるかを理解したらしいポラリスは、それをじっと見つめて待つ。

 もう、俯いたりはしない。

「お願い……します」

「……任された」

 応じて、速水は一つの携帯端末を取り出した。咄嗟の不具合に備えて造った、ヘッドギアのバックアップ用システムを立ち上げる。

「もっともやるのは単純な置換作業だが。せっかくだし、大盤振る舞いだ」

 空を見上げる。

 月が沈み、夜が明けるまではまだ時間がある。いつかみたく、朝日が昇るまでかかったりはしないだろう。

 そんなことを考えて、ふっと口元が緩んだ。

 端末を操作し、音声入力のコマンドを起動する。

「システムクロックアップ(演算加速限界)」

 祈りであり、

「タイムスケールシフト(観測次元移行)」

 願いであり、

「パラレルトリガーセット(高次並列化開始)」

 償いであり、

「──神は死せども救いはここに。人の手で人を救うべく、呪いにして祝福のココロを彼に」

 救いである、そんな言の葉を、紡ぐ。

「デモン(被造物)に願う、『デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神)』」

 

 

 ──夜が明けたとき。

 舞台の上には、誰の姿もなかった。

 

 朝日が、優しく全てを照らしている。

 

 

17.Life is beautiful

 

全てが終わってから数日。

予後を見るためにまだ入院中の再現坂奏音のもとに、一人訪れる影があった。

「……どうぞ」

 ノックの音に、奏音は嬉しそうに応える。

 開いた扉から入ってきたのは、彼女の一番の親友だった。

「ええ、お邪魔するわね」

 芥屋蛍は、慣れた様子でベッド近くの椅子まで歩いてきて腰掛ける。

「……それで、あれから調子はどうかしら?」

「うん、もう大丈夫。あくまで後遺症がないかの様子見で入院してるだけだし」

「そう。それなら何よりだわ……ずいぶんと時間がかかってしまったもの、ね」

 気遣わし気なホタルの言葉には、奏音がしゅんと俯く。

「うん……ごめんね」

 しかしホタルは笑顔で首を振る。

「ふふ。貴女が謝る事はないわ。ただ……そうね。思うことがあるとすれば、全ての発端が彼に……カノンのお父様にあったことかしら。貴女を助けるためだったとはいえ……ごめんなさい」

 頭にあるのは、あの日に塵と消えた奏音の父親の姿。

 彼本人に思うところはないが、それでも奏音自身はきっと気にしている。そう思っての謝罪ではあったが、今度は奏音がそれに首を振った。

「ううん、大丈夫」

 それは空元気かもしれない。

 父親の凶行に、彼女の命を脅かそうとした狂気に何も思わないはずがないから。

 それでも。

「ねえ、退院したらさ、また一緒に、遊ぼう?」

 それでも、少女は笑うのだ。

「……ええ、勿論。前にも言っていたものね、やりたい事がたくさんあるって」

「ええ!」

 失った時間を取り戻すべく、笑うのだ。

 そんな彼女を前に、芥屋蛍もまた笑う。

 今度こそ、約束を果たそうと、見えない未来を夢見て。

 

 二人分の話し声が、日の照らす病室に響いている。

 

 

「だいぶ動けるようになってるやんけ。よかったのぉ」

 スポーツドリンクを片手に、水島光は笑いながら話しかける。

 大激動を乗り越え、また戻ってきたアイドルレッスンの休憩時間のことだ。当然、隣にはポラリスがいる。

「えへへ、ありがとう。もう体調とかもばっちり。全然大丈夫だから」

「そうかそうか、主治医が有能なこった」

「誰が主治医だ誰が」

 横の方でポラリスの稼働データを取っていた、速水の小声の抗議は気にかけない。

 そのまま僅かに声をひそめ、

「それでな、ちょいとお前に聞きたいことがあるんやけど、ええか?」

「なにかな?」

「や、あの……言い方悪いかもしれへんねんけどさ、お前、自分で……その、クソ親父殺したやん? あのとき、どういう気持ちやったんかなって」

「あれは自分の意志じゃないし……もともと、あんまり優しくしてくれた記憶もないし」

「まぁ、そやねんけどさ……いうても目の前で身内が消失したわけやん。ざまぁみろとか思った?」

 問いかけに、ポラリスはじっと考え込む。

 この青年が『家族』という存在に、何を抱えているかは知らない。それでも、自分と彼とを重ね合わせていることくらいは想像できた。

 記憶の上でさえ父らしくなかった男を思い返し、そして眼前で今の自身の心臓だけを遺して消えていったその姿を思い返し、

「……どっちかというと、やっと終わる、って感じかも」

 この回答に、青年がどんな表情を浮かべたのかは逆光で伺い知れない。

 ──それでも、次にポラリスの目に見えたのは眩い笑顔だった。

「……やっぱお前も縛られとったんやな。よしよし! お疲れさん!! 今までよぉ頑張ったな!!」

 ぎゅうっと抱きしめられ、頭を撫でられて慌てるポラリス。

「あわわ……」

「うはは、こんなんされんのは初めてか?」

「母さん以外にはされたことなくて……」

 それとて再現坂流星としての記憶だ。ポラリスの肉体でこんなことをされたことはない。

 それを告げれば水島は一層眩しい笑顔を浮かべる。

「そうかそうか!! まぁええ機会や、ママ以外にもされとけぇ?」

「そろそろ時間だよーっ!」

 そして休憩室の扉をばーんと開けてやってくるドロシープロデューサー(自称)。

「……あれ、邪魔しちゃった?」

 真っ先に目に飛び込む金髪の青年が同じく金髪の少年を抱きしめ、頭を撫でているの図。

「……もうちょい空気読もうやプロデューサー」

「ふ、二人でごゆっくりー!」

 乱入してきたのも束の間、ぴゅーっと尻尾を巻いて逃げた学長は、しかしすぐに顔だけを入口から覗かせた。

「レッスンには遅れるって伝えておくから、楽しんでていいからね!」

 何かを勘違いしたまま、プロデューサー(自称)はまたぴゅーっと去っていく。

 水島はけらけらと笑いながら、

「おうありがとうな!! ゆっくり二人で過ごさせてもらうわ!!」

「え、えとその……?」

 慌てているポラリスへは、くいっと廊下を指差しながら、

「さて、だいぶ休憩とったことやし……そろそろ練習戻ろか」

「う、うんっ」

 立ち上がる水島は、とたとたと飲み水を取りに行くポラリスを眺め、独りごちる。

「ん、やっぱ笑ろてるほうがええわ」

 

 ……学内で頒布された、学長印のアイドルカプ本に彼が怒りの絶叫を上げるのは一週間と二時間十四分後。

 

 

 先にレッスン室へ戻っていく水島に追いつくべく、走り出そうとしたポラリスを止めたのは速水だった。

「──横から見てても問題はなさげだな。主治医がそう判断してやる」

 言って、ポラリスのデータを解析していたタブレットを閉じる。もう仕事は終わったとでも言いたげだった。

「……よかった」

「実地じゃないから断言はできないが、ライブも平気だろうさ。一応本番も横に控えておくつもりではあるが」

「頼りにしてる」

 しかし万全の信頼を寄せる小さな同居人を前に、ふと疑問が生じたらしい。

 心底から不思議そうに、

「……なあ、学長の頼みだとお前が学園に慣れるまでが子守り期間だったはずなんだが。何で未だに働いてるんだオレ。しかもタダで」

「……でも、一緒にいてくれるだけで嬉しいから」

 袖口をぎゅっと握るポラリスは、直後にばっと顔を上げる。

「ほ、ほらお金が欲しいなら僕の報酬から……」

「さすがにそこまで落ちぶれちゃいない。見放すほど冷たいつもりもない」

 いっそ迷惑だとでも言いたそうな声色。

 それでもなお不安そうなポラリスを前に、ため息と一緒に付け加える。

「……何、別段嫌な生活じゃない。柄じゃないが」

「──ならよかった」

 ポラリスはほっと胸を撫で下ろす。

 それをしっしと追い払う動作で、

「──らしくないことしか言ってないな。ほれ、練習行ってこい。同僚がうるさいぞ」

 実際、廊下の方からポラリスを呼ぶ声が聞こえてきている。

 今にもこちらへやって来て自分を探しにきそうな同僚の声に、ポラリスは小さく笑った。

「うんっ」

 ひらり、と速水に手を振って、ポラリスは駆け出していく。

 今日も今日とて、明日だって、ずっと彼は誰かに届けるための歌を歌っていくのだろう。

 生きているというだけで、きっと誰でも素晴らしいと、途方もない理想論を、心からの音色で。

 そんな未来を、ほとんど見えないはずの目に映した気がして、速水都は誰にも聞こえないように呟く。

「……本当に、らしくもない本音だ」

 誰にも見えない口元に、微かな笑みを浮かべて。

 

 

 独りぼっちの星の呟きを、一人の捻くれものが聞き届けた。

 回り回って、星の周りにはいくつもの別な輝きが集まって。

 消せない傷も、埋められない溝も、いくらでもあるけども。

 

 いつだって、その星は誰かの道標となるべく、今日も輝いている。

この記事を書いた人

予想以上に沼が深くて入り浸っている人
シナリオたくさん書きたい

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