昔、人生にはモテ期が三度あるという話を友人の一人から聞いたことがある。なんでも、どんな人物でも三回はくるんだとか。そう熱弁していた彼には恋人はいなかったはずだが、はたして今はいるのだろうか。
「……それとこれに何の関係が?」
聴者である男子学生はそのように尋ねる。突拍子もない話だなと思ったのだ。対して話者、蒼井悠翔は遠くを見る。おそらくはお調子者の友人を追憶して。
「モテ期を説くんだったらモテ期が来た場合の対処法も教えてほしかったと思っただけだよ。恋愛事も、それに伴うトラブルにも疎いんだ。……で、確認だけど。俺は放課後に指定場所に行けばいいんだね?」
「ええ、まあ」
そこで会話は切れた。「では、これで。……僕が言うことでもないかもしれませんが、魔法決闘頑張ってください。失礼します」と去っていく男子学生を横目に、悠翔は少し眉間を揉んだ。果たし状を貰うなんて生まれてこの方ないし、そもそも恋愛自体あまり考えてこなかった人生なのだ。多少話が脱線したのも致し方ないと許してほしい。慣れない話題は予想以上に当人の精神を疲労させた。ため息が零れるのもやむ無しなのである。
「はぁ、なんでこうなったかな……」
『魔法決闘で蒼き烏は空を舞う』
事の発端はお昼時。午前最後の講義を終えた悠翔は、いつもよりさらに手早く教科書類をハーベスト指定デザインの鞄に入れた。今日は昼食を一緒に食べる約束が入っていることを彼はしっかりと手帳に記入していた。「四角四面」という言葉が彼にはよく似合う。手帳にも見られるそれは鞄にも表れている。入学して以来五年以上使っている鞄は経年劣化こそしているものの、目立った型崩れもしておらず綺麗な状態を保っている。悠翔は本の背を全て底向きにして詰め込み終えると、急いで食堂へと向かった。……早歩きで。「廊下は走らない!」というポスターの言葉を文字通りに受け取ってしまうところが彼の長所であり短所だった。
廊下を歩いているとティロン、と彼の携帯が鳴る。初期設定の通知音ではなかったので悠翔は一度足を止める。初期設定からほとんど何も変えられていない携帯の中で、少し長めに鳴るその音は彼にとって特別なものだった。
「……通知音を変えなくてもいいと思っていたけど、誰からの連絡かすぐにわかるのは便利だな」
独り言ちながら通知をスワイプする。メッセージの差出人は彼女のうちの一人からだった。「彼女のうちの一人」に引っかかりを覚えるのは感覚として間違っていない。ただ、その上で理解して頂きたいのが、彼は全員の合意を取ったのちに現在三人と交際しているということである。全員を傷つけないで、かつ誠実に応える手段を彼はこれ以上持ち合わせていなかったのだ。一人の幸福よりも三人の幸福を願ったあたり、彼は少し功利主義者の気がある。
さて、そんな彼女のうちの一人からのメッセージだが、それは、『今日は私とお昼食べる日ですよ! もしかして忘れてないですよね? いつもの席で待ってます!』とまあ、なんとも可愛らしい催促だった。悠翔は口角を上げ、それから返信するメッセージを携帯に打ち込む。
『忘れてなんかいないよ。今、ちょうど講義が終わったところだから向かってる途中。遅くなるかもしれないから先に食べていていいよ』
送信をタップしようとしたところで、悠翔は自分の傍に声をかけようか迷う素振りを見せる男子学生がいたことに気がついた。……もしかして、こちらの用事が終わるまで待っていたのか。もう少し早く気づければよかったと反省しつつ、彼はその男子学生に声をかける。
「もしかして、俺に何か用でも?」
「貴方が蒼井悠翔さんであれば、少しだけ用があります」
「合ってるよ。……それで、君の用件は?」
「これを貴方に渡せと言われています」
そう言って男子学生は自身の鞄をゴソゴソと探ると、中から茶封筒を取り出した。
「『果たし状』……まさか、こんなものを貰うことになるとは思わなかったな」
「果たし状」と油性ペンで大きく書かれた茶封筒の中には、荒っぽい字が書かれた便箋が入っていた。曰く、俺は楽器魔導学科のあの子が好きで告白した。なのに、お前がいるという理由で振られた。モテるから調子に乗っているのかもしれないが、お前は三股するクズ野郎なのにあの子に気に入られているのが気に食わない。だから魔法決闘でお前をぶっ倒す。放課後に運動場に来い。
はぁ、と一つため息が出た。逆恨みに近い。たしかに複数人と同時に付き合うというのは不誠実かもしれないが(実際その自覚はある)、そもそも告白して振られている時点でそちらの恋は終わっているだろうと言いたくなる。
「……あの、すみません。困らせるようなものを届けてしまって」
男子学生は眉を下げて軽く謝罪を述べる。
「いや、君が謝ることじゃない。しかし、俺がモテる、ねぇ……」
そして話は冒頭に戻る。彼の結論としては、面倒事には変わりないが、行かないと余計面倒なことになるので行くしかないということだった。次いでため息。三度目だ。気が重い。憂鬱な思考はしばらく彼を束縛した。その思考が解かれたのは約五分後、待ちくたびれた彼女が電話をかけてきたことによる。そして、早く来てくださいよ? と急かす声で、ようやく悠翔は先程の返信を送っていないことに気づいたのだった。
***
時は過ぎて放課後。悠翔が指定された場所――そこは運動場の一角であり、運動部が使っていない空きスペースだった――に到着すると、そこにはちょっとした人だかりができていた。お相手さんの身内なのか、あるいは魔法決闘フリークがここで魔法決闘が行われるという噂を聞きつけたのかもしれない。いずれにせよ、今回の魔法決闘は普段よりも観客が多いことははっきりと理解できた。……あまり、目立つのは性にあわない。早いところ用事は済ませた方がいいと思い、悠翔は人だかりから少し離れた場所に立つ、一人の男子学生に話しかけた。
「やあ、来たよ。君が俺を呼び出した張本人で合ってる?」
「ああ、その通り。俺がお前を倒すために呼び出した」
青年は肯定した。整えられた茶髪に彫りの深い目鼻立ち。第一印象としては、あまり魔法決闘を挑むタイプではなさそう。ハーベスト指定の制服を身につけているあたり、根は真面目なのかもしれないと悠翔は思う。そういえば、呼び出した理由の一つは俺の不貞も入っていた。……あぁ、だとすると少し厄介だ。憤りに任せて挑んでくる相手には実力の差を見せればいいのだが、真面目ゆえだとすると何か策が練ってある可能性もある。どうしたものか、と少し考えていると目の前の学生は俺が怖気付いていると思ったようで歯を見せて嗤う。
「……先輩、もしかして俺に負けるかもしれないってビビってるんですかぁ?」
「そんなことはないさ。生憎、負ける勝負には手を出さない主義でね。……ただ、君が一方的に挑んできた魔法決闘だ、こちらも何か条件を提示しなければ不平等じゃないかと思っていたところだ」
「ふーん? 奇遇だな、俺も負ける気はさらさらねえよ。だから、お前の条件とやらも聞いてやってもいいぜ」
「ありがとう。俺が出す条件は一つ、『もしこの勝負で俺が勝ったら大人しく彼女のことは諦めてくれ』。これだけだ」
「なんだ、そんなことか。いいぜ、呑んでやるよその条件。どうせ俺が勝てば関係ない話だ」
「交渉成立だ。証人はここにいる観客全員。……それじゃあ、そろそろ始めようか」
「言われなくても! 俺は杖魔導学科五年の鈴木圭太、お前に魔法決闘を挑む!」
「改めて、俺の名前は蒼井悠翔。札魔導学科六年。正々堂々お相手しよう」
会釈を一つ。お相手……圭太、だったか。彼はしてくれなかったあたり、想像以上に自身は嫌われているようであると悠翔は感じた。一応、魔法決闘のルールにあるんだが……。少しモヤモヤしつつも、悠翔は所定の位置につく。そして、羽織っていた青いマントを翻し、彼は発動体である召喚札を二枚、人差し指と中指で持つと圭太の方に向ける。
「気に入らない相手とはいえ、魔法決闘の礼儀、ルールを守らないのは感心しない。上級生なんだからその辺りもしっかりすべきだ。……『Ready?』」
「揚げ足取りは嫌われますよ、先輩。『Ready!』」
圭太もまた、発動体であろう木製の杖を構える。
「「『Now!』」」
二つの声が重なり合う。魔法決闘の火蓋は切り落とされた。
***
悠翔は召喚札から二羽のワタリガラスを呼び出した。彼らを自在に操って味方を守るのが悠翔の戦闘スタイルだ。カラスは空中を旋回し、大気中のマナを集めていく。
「何も仕掛けて来ないならこっちから行くぞ! 【インフェルノドライブ】!」
圭太が叫ぶ。炎が渦を巻いて悠翔の方へ向かってくる。悪くはない、いい魔法選択だ。だからこそ、真正面から迎え撃つに値する。マナを集め終えたカラスが悠翔の元に戻ってくる。マナの調律、調合も共に問題なし。調子はまずまずといったところだ。
「【アルティメイタム】」
瞬間、カラス達は紫に変色し、そのまま炎の渦と正面衝突する。熱風の余波がこちらに飛んできて召喚札が一枚燃え尽きる。まだ、無問題。ダメージは最小限だ。チッと舌打ちが一つ聞こえる。おそらく圭太がしたものだろう。お互いスリップダメージが入るのだ、相手にとってもいささか面倒な試合運びだろう。
「基本に従順な戦闘スタイルだ。だけど、基本を理解している相手は厄介だからね。……こちらも本気で挑ませてもらおう。【ヒーリングスクエア】」
召喚札に絡みつく熱を振り払い、悠翔は魔法を発動させる。光の空間は彼に癒しを、圭太にダメージをもたらしていく。圭太は逃れるようにバックステップし、悠翔に向き直る。
「っ、面倒な戦い方しやがって! 食らえ、【スーパーノヴァ】!」
爆発のような衝撃が圭太の杖から放たれる。高ランク魔法を安定して放てるあたり、彼もなかなかの実力者だ。その実力をこんなところで発揮しないでほしいのだけれど、そうも言って居られない。
「【デスティニー・ドロー】」
悠翔はさらに一羽のカラスを召喚した。増えたカラス達はより多くのマナを彼の手元に集めてくる。
「……よし、いける。【カームインディグネイション】」
悠翔がそう唱えると、カラス達は青色の炎を身にまとい、まるで一つの流星のようになって爆発と相対した。ギャラリーが少しざわめく。
「なんだ、あの魔法は……」
「この魔法はまだあまり知られていないんだったか。……【カームインディグネイション】。守りたい思いに呼応する魔法だ。覚えておいて損はないだろう」
「知る、かよ! 【知は力なり】!」
圭太はそのように吐き捨てる。【知は力なり】と言うのであれば、学ぶことも大事だと思うのだがどうやら相手はそれどころではないらしい。悠翔はなんだかなぁと思いつつ、彼の動向を見やる。彼の周囲には大量のマナ、特に火属性のマナが漂っており、相手が渾身の一撃を決めようとしているのは目に見てとれた。警戒を強めつつ、発動される魔法を確認する。
「これで終わりにしてやる、【カーディナルコスモス】、そして【ブレイジングキャノン】!」
圭太は炎を宙の一点に集中させると、そこから巨大な光線を悠翔に撃ち込む。炎の熱が身に迫る。【ブレイジングキャノン】が撃ち込まれているならば、防御は捨てるべきだ。即座に判断すると、魔法を詠唱する準備に入る。
「ああ、次で終わりだ。――俺の勝利を確実にしよう。【テトラポッド】を二回発動」
光り輝く二羽のカラスは勇敢にも光線に突っ込んでいき、そして身にまとっていた光だけが悠翔の持つ手札に戻ってくる。すでに手札は残り数枚となっており、彼が劣勢であることは第三者から見ても明らかだった。
「はっ、口だけはまだ減らねえな。だが、これで確実に仕留める! もう一度【カーディナルコスモス】!」
もう一度、大量の炎が圭太の周囲に現れる。それらは数多の火球となり、一直線に悠翔の元へ襲いかかる。しかし、劣勢であるというのに、悠翔は恐れるでも慌てるでもなく、ただ呆れたような表情を浮かべた。それは簡単な問題すら分からない生徒を見ているようだった。
「最初に言ったはずだ、『俺は負ける勝負には手を出さない主義』だと。それに、俺自身が嘘をつく道理もない。……さぁ、刮目しろ。【真実と偽りの蜃気楼(ヴァイスシュヴァルツ)】」
悠翔がそう言うと、召喚されていたワタリガラスの眼が青く光る。そして、どこからともなく現れた白いカラスが一羽、二羽とどんどんその数を増していき、彼ら自身も光り出す。
「【絶対に許さない!】【デスティニー・ドロー】……最後の切り札を引くのは、俺だ」
そこで悠翔は勝利を確信したかのような笑みを浮かべた。彼がカラスを導くように手元の召喚札を動かすと、それに合わせるようにカラスは眼と体の輝きをますます強めていく。
「出でよ、幻影の理想郷。願わくば、俺に守護の力を。【アルカディアスアルスマグナ】!」
白色の光に輝くワタリガラスは今や一つの群れとなって火球にぶつかって行く。鳥と火球が衝突する度に飛び散った火球の欠片が少しずつ、確実に圭太の杖を破壊していく。衝突による爆風の中、「クソっ、こんなことが――」と圭太が何か言いかけた声が聞こえる。悠翔はそれには答えず、衝突が収まるのを、そして爆風が晴れるのを待っていた。少しの沈黙が場を支配する。
「『攻撃は最大の防御』というけれど、裏を返せば『防御こそ最大の攻撃』ともいえると俺は思うんだ。……まだ、続けるかい」
悠翔は爆風の中から戻ってきた一羽のワタリガラスを肩に乗せる。そして、地面に倒れている鈴木圭太を、彼のすぐ側に転がっている折れた杖を見下ろした。……決着がついたと観客が沸き立つのはそれから数秒後のことだった。
***
それから数日後。悠翔の元にはなぜか圭太と彼の学友らしき男子学生が数人いた。
「……何の用? もう彼女からは手を引いてくれと言ったはずだけど」
そう悠翔が渋々尋ねると、圭太は「いや、そうじゃねえって!」と返す。
「男に二言はねぇからあの子のことは潔く諦める。けど……」
「けど?」
「最後、あんな風に逆転負けしたのが悔しくてしょうがねえ! だから、今日はお前にリベンジマッチを申し込みに来た! 三対三の魔法決闘!」
……ああ、君もただの魔法決闘バカだったか。悠翔は脳内でおそらく当人が聞いたら全力で否定するであろう性質を圭太に見出した。昨日の今日で来るあたり、負けん気は強いようだ。
「三対三、か。うーん、受けても構わないが……よくパーティーを組んでいる友人の予定とか、俺自身の予定も確認しないといけないから、少し待ってくれ」
悠翔は携帯のメッセージを起動する。まずは当てにしている友人達の予定を確認して、それから恋人たちへの説明もしなければ。彼の指先は勤勉に動き、画面上に言葉を紡いでいく。
『お疲れ様。今、三対三の魔法決闘を挑まれたんだが、もし時間が空いていたら一緒に戦ってくれないだろうか』
『すぐに終わらせるから、帰りは一緒に帰ろう』
今度はちゃんと送信を押してから、彼は友人と恋人からの返信を待つのだった。

